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幕末の絵地図、謎多い山城跡も…武雄鍋島家資料 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
佐賀県武雄市が所有する武雄鍋島家資料の中から、唐津藩一帯の様子が描かれた幕末の大型絵地図が見つか... 佐賀県武雄市が所有する武雄鍋島家資料の中から、唐津藩一帯の様子が描かれた幕末の大型絵地図が見つかった。 江戸時代以前の姿の記録が残っていない県史跡の山城跡・ 岸岳 ( きしだけ ) 城跡の姿も記されている。調査した佐賀大の宮武正登教授(日本中世史、城郭史)は「県内の今後の文化財調査で役立つ貴重な史料になる」と指摘している。 市が9日、市歴史資料館で報道陣に公開した。宮武教授によると、「唐津之図」と名付けられた絵図は縦3・15メートル、横3・91メートル。唐津藩領内の主要道や河川、岸岳城跡を始めとする山城跡などが記載されている。図中に描かれている墓所の記述などから、幕末の1860年代に作製されたとみられている。 作者は不明。幕末には、時代の変化に対応するために多くの藩が他藩の情報を集めたといい、佐賀鍋島家が実地調査して作った可能性があるという。ただ、宮武教授は「作製の理由は特定できない。これ
2017/05/11 リンク