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「日本国王良懐」と足利義満
「日本国王良懐」と足利義満 1.朝貢を求める洪武帝の決意 中国の国家間交渉は「華夷思想」が原則とな... 「日本国王良懐」と足利義満 1.朝貢を求める洪武帝の決意 中国の国家間交渉は「華夷思想」が原則となっていました。つまり、中国が世界の中心に君臨し、周辺諸国は臣下として「朝貢」するという外交体制です。「倭の五王」の遣使以来、日本はこの体制での交易には応じてきませんでした。 皇帝に即位した洪武帝(朱元璋)も、この思想に基づいた外交システムの構築を目指していたため、どうしても日本に朝貢をさせる必要がありました。しかし日本では「中国とは対等」という思想が一般的であったため、中国と日本との正式外交が簡単に成立しなかったのは必然的であったと言えます。 しかし明としては倭寇の禁圧にどうしても日本を従える必要があったと考えました。歴史的には長きに渡って途絶えていた日本との正式外交を成立させるべく、建国の年・1368年に早速日本へ使節を派遣します。 ところがこの使節、途上の五島周辺で「賊」に襲われたようで、