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天道、是か非か
2月のコラムは「禁酒の効用」と予告していましたが、 あまりにも悲惨な「天禍」後の実態が明らかになる... 2月のコラムは「禁酒の効用」と予告していましたが、 あまりにも悲惨な「天禍」後の実態が明らかになるにつれ、 「天道、是か非か」を思わざるを得ず、変更させていただきました。 現実社会には多彩な人間の生活がある。司馬遷は、ともすれば歴史のかなたに埋もれてしまいがちな個人の記録を丹念に収集し、『史記』列伝として後世に伝えた。その列伝の筆頭に掲げられたのは、殷末周初(前1100年ころ)、孤竹国(今の河北省)の二公子、伯夷と叔斉である。 「叔斉の方が国政を任せるにふさわしい」、そう判断して叔斉に国を譲ろうと考えていた父親であったが、決断することなく亡くなった。父の死後、叔斉は長兄の伯夷をさしおいて国を継ぐのは嫡男相続の礼に反するとしてこれを辞退し、伯夷も自分が国を継ぐことは父親の遺志に背くことになるとして受け入れず、ついに二人して国を去ることにした。 時に西伯(周の文王)の徳が聞こえているころであっ