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外島のともしび: エスペラントとハンセン病
4.外島のともしび 第三区府県立外島保養院は、現在の大阪市西淀川区、神崎川河口の中洲に建てられてい... 4.外島のともしび 第三区府県立外島保養院は、現在の大阪市西淀川区、神崎川河口の中洲に建てられていた。その院長を務めた村田正太(まさたか)は異色の経歴の持ち主である。東京法学院(中央大学の前身)を出たのち、1906年に東京外国語学校(東京外国語大学の前身)ドイツ語科を卒業する。この前後、ハンセン病の医師を志すにいたり、光田健輔の助言を受けて、東大で正規課程の学生として医学を学ぶために旧制一高から入りなおした。基本を重視する性格と意志の強さを物語っている。 1917年に満32歳で東大を卒業すると、東大伝染病研究所で血清学の研究を続け、梅毒の診断法として村田反応を考案する。これは代表的な血清診断法として普及し、村田の医学界での地位を確立させた。「村田反応」は『広辞苑』の見出し語にも採り上げられている。 村田は正真正銘のエスペランティストであった。ドイツ語科の出身だけあって、自身ではドイツ語は得
2012/02/04 リンク