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宮田裕「沖縄経済の特異性はどうしてつくられたか」
○米軍統治下の財政援助 1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸した。その直後の4月5日には、米国海軍... ○米軍統治下の財政援助 1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸した。その直後の4月5日には、米国海軍元帥C・W・ニミッツの名において「ニミッツ布告」を発布し、「米国海軍軍政府」を樹立した。翌46年1月29日、「沖縄を日本から分離する覚書」により、沖縄は本土から分離され、米軍統治が始まった。戦後の1950年12月5日、米国海軍軍政府は「琉球列島米国民政府(USCAR)」に改称され、高等弁務官制度のもとで独裁権を行使するようになった。 琉球列島米国民政府は1951年5月1日、「琉球列島経済計画(1951~55年度)」を策定した。経済政策の目標は、「ガリオア資金を活用して戦前の生活水準に匹敵する水準の確立を図ること、またこの生活水準での自給確保の水準を達成すること、経済の金融機構を安定化すること」と述べている。経済計画期間中にガリオア資金(占領地域統治救済資金)226億3000万円の救済資金を