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米原万里の父 (2)
『回想の米原昶』の中に、父、米原昶が二人の娘たちに送った一通の手紙が掲載されている。母、美智子の... 『回想の米原昶』の中に、父、米原昶が二人の娘たちに送った一通の手紙が掲載されている。母、美智子の注記とあわせて全文をご紹介する。これ以上なにも言わなくても、昶がどんな父親であったかよく分かる。1959年12月から彼は家族とともにチェコスロバキアに駐在、日本共産党の代表としてプラハの『平和と社会主義の諸問題』という雑誌の編集局に勤務していた。この手紙を書いたときの昶は52歳。 この手紙は、プラハに滞在中、夏休みで、ピオニールキャンプに行っていた子どもたちに宛てたもの。 まりが十一歳でむこうの小学校の三年生、ゆりが八歳で、二年生のときのものです。どうにか向こうの言葉に慣れて来た子どもたちが、今度は日本語を忘れないように、という配慮がにじんでいます。文中「クロヂーヌ」とあるのは同じ編集局に勤めているフランス人の娘さんの名前です。 私はルーマニア婦人組織の大会に招待された婦団連代表の石井あや子さん