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07年5月:中野重治と戦後民主主義 | YamaguchiJiro.com
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07年5月:中野重治と戦後民主主義 | YamaguchiJiro.com
こういう場で話をせよと依頼を受けましたが、本当に見当違いのことを申し上げるのではないかと危惧して... こういう場で話をせよと依頼を受けましたが、本当に見当違いのことを申し上げるのではないかと危惧しております。その辺は素人ということに免じてお聞き流しいただきたいと思います。 私にとって中野重治はどういう存在といえば、中野が魯迅について書いた次のエッセイと全く同じだということになります。「ある側面」というエッセイの中で、中野は魯迅について次のように語っています。 私は、学者とか研究者とかいつたものではないから、ただ一人の読者として魯迅を読む。一人の日本人として魯迅を読む。また一人の文学を仕事とするものとして魯迅を読む。 読んで何を感じるかといえば、自分もまたいい人間になろう、自分もまたまつすぐな人間になろう(中略)という以上に出て、自分もまた、日本の民衆のために応分につくそう、日本の労働者と農民とのために働こう、沖縄人をふくめた日本民族の独立のために任務を引きうけて奮闘しよう、そのためには、一