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【山さ行がねが】道路レポート 国道113号東港線バイパス 机上調査編(後)
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【山さ行がねが】道路レポート 国道113号東港線バイパス 机上調査編(後)
<4> 東港線バイパスの計画縮小にまつわる謎 前章にて、途切れたままの東港線バイパスが目指していた... <4> 東港線バイパスの計画縮小にまつわる謎 前章にて、途切れたままの東港線バイパスが目指していた“完成形”を知りたいという机上調査当初の目的は、一応果たされた。 東港線バイパスは、昭和41(1966)年に新潟県が事業に着手し、昭和46年度の完成を目指して工事が行われた全長1.4kmの高架バイパスであったが、昭和43年発行の資料から、計画の全貌や、目指している完成形を、かなり具体的に知ることが出来た。 だが、この先には大きな謎が横たわっている。 【謎】 なぜ東港線バイパスの建設は途中で打ち切られ、現状の中途半端な形で供用されたのか? この【謎】の答えについては、ここまで机上調査を進めるまで私は単純にこう考えていた。 東港線バイパスは、そもそも“みなと大橋”ありきの計画だったから、“みなと大橋”が頓挫したために、途中で打ち切られたのだろう――と。 しかし、東港線バイパスが計画されたのっぴきな