エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
国を国旗であらわしていいか(その二): やまもも書斎記
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
国を国旗であらわしていいか(その二): やまもも書斎記
2016-7-04 當山日出夫 すでに書いたことである。 やまもも書斎記:国を国旗であらわしていいか 2016年6... 2016-7-04 當山日出夫 すでに書いたことである。 やまもも書斎記:国を国旗であらわしていいか 2016年6月29日 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/29/8120547 このつづきを書いてみようと思う。 なぜ、国を国旗で表象することに、違和感を感じるのであろうか。一般にテレビのニュース、スポーツの国際大会などでは、ごく普通に行われていることである。だが、それが、大学の教室にもちこまれると、なにか居心地の悪いような感じがどうしてもしてしまうのである。 たぶん、それは、国旗で表象するという行為のもつ、ある種の排他的性格に起因するのではないかと思う。国旗は国のシンボルである。そこには、統合の求心力がある。 しかし、それは、同時に、その国旗を受け入れることをいさぎよしとしないものを、排除・疎外するものでもある。 国旗には、このような二面性がある