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当事者が語るということ
「べてるの家」の当事者研究からナラティブについて考えると、当事者が語るということがいかに重要なの... 「べてるの家」の当事者研究からナラティブについて考えると、当事者が語るということがいかに重要なのかということがよくわかる。 「当事者」とは、べてるの家でいうならば統合失調症に苦しむ人である。従来は、治療と投薬の対象として、専門職(医者)から記述されたばかりの人間である。 もちろん統合失調症に苦しむ人間は、医者にいろいろと訴えはするのだが、それはせいぜい「幻聴」としてだけしか認められず、それをそっくりと減らすために投薬が行なわれる。「幻聴」の内的意味などはしばしばないがしろにされる。当事者は「○○症」という専門職だけが正確に語る特権を持つ用語に入れられるべき患者、あるいは症例とされる べてるの家では、当事者が自らを語る。例えば、ある当事者は自らの幻聴妄想状態を「ぱぴぷぺぽ状態」などと称する。これはユーモアの導入といったレベルだけにとどめるべき話ではない。アイデンティティ、存在の問題であると私
2017/02/08 リンク