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寄筆一元修行日誌―弁証法・認識論の修得を目指して―: 牧野紀之批判
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寄筆一元修行日誌―弁証法・認識論の修得を目指して―: 牧野紀之批判
け、傑作な著書を発見してしまった。牧野紀之『哲学の演習 考える悦び』(未知谷)である。発見にいた... け、傑作な著書を発見してしまった。牧野紀之『哲学の演習 考える悦び』(未知谷)である。発見にいたるまでの過程を説くと長くなるので詳細は次回以降にしたいが、簡単にいうと彼のブログの「自著紹介」のような記事で、本書が三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を扱っていることを知ったので、買ってみたわけである。 問題の、『弁証法はどういう科学か』に触れている箇所は、「論理的に考える」という章の中にある(噴飯ものである)。まず、『弁証法はどういう科学か』の「まえがき」が引用されたあと、次のように述べられている。 「一読して、この人の頭はどうなっているのだろうかと考え込んでしまうほどひどいものです。しかし、このような事は誰も気付かず、大いに売れているようです。 この『まえがき』での『科学』と『哲学』の区別(あるいは定義)はどこがどうおかしいのでしょうか。これが問題です。この定義とこの文章とはどう矛盾してい