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演奏する作曲家 vs 作曲する指揮者 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
あの「のだめカンタービレ」の中に、ちょっとしゃれたセリフがあった。 むかしは、音楽理論を熟知し理性... あの「のだめカンタービレ」の中に、ちょっとしゃれたセリフがあった。 むかしは、音楽理論を熟知し理性で音楽を把握できる人のみを「ムジクス(音楽家)」と言い、 歌ったり演奏したりするだけの人を「カントル(歌い手)」と呼んだ。 これは、カンタービレ(歌うように)ということばの語源を語るセリフで、ただピアノを弾いたり歌ったりして音楽を楽しむだけでなく、知的に音楽を探究する姿勢があってこそ「音楽家」なのですよ、という「ちょっといい話」。 確かに中世やルネッサンス期の「音楽家」というのは、音楽を歌ったり演奏したりする人のことではなく、音楽全般に通じた人のことだったようだ。 実際、古代ローマ時代には「文法、修辞学、弁証法」と共に「算術、幾何、天文、音楽」がインテリの必修七科目だったそうで、「音楽」は単なる「娯楽」などではなく立派に「学問」のレベルだったらしい。 かのレオナルド・ダヴィンチがそうだったよう
2010/05/11 リンク