前史『論理学研究』から『存在と無』まで。 フッサールが現象学者として認められ、哲学の表舞台に立ったのは二作目となる『論理学研究』(1900/1)からである。これによってフッサール現象学というものが認知され、ゲッティンゲン現象学派などが成立する。いい調子である。 このまま波に乗っていきたいところだが、『現象学年報』の創刊号に収録された第二の主著である『イデーン I』(1913)はあまりいい評価を受けなかった。これはどうも超越論的観念論の傾向の強いもので、そういった観念論は広く受け入れられなかったからである。カントみたいだな、もううんざりだ、というわけである(フッサール自身はカントの超越論的哲学を批判しているが)。というわけでずっと現象学が当時持て囃されていたというわけではない。 そんな中とどめを差しにいったのが、あろうことかフッサールの弟子であったハイデガーである。ハイデガーはフッサールの現
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