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左の方の水伝騒動に関するfelis_azuriのブックマーク (20)

  • 東海林さだおがいいなぁ 

    shiz_tiger(志津)様 ご意見拝読いたしました。なぜかそちらのツィートの7時間前から15時間前のツィートが拾えず、こちら http://p.tl/kAwdで拾って返事をお返ししているので、私の読んでいないshiz_tigerさんのツィートがあるやも知れませんが、ご了承ください。 あのブログでのやり取りにいただいたご評価につき、私の反論を逐一しようとすると余りにも長くなりそうですし、当はしたい気持ちもあるのですが(笑)、なにせ三年前のことですから記憶もだいぶ薄れておりますので、何点か箇条書きにてお応えするだけに留めようと思います。 1.あのブログ記事は、ある対立の中で、対立者を批判、ないし、攻撃するために書かれた記事にすぎません。それは、こちらの3番目にトラックバックが送信(これはかのブログ主が自ら行った操作です)されていることからも明かです。http://p.tl/_Kue その

    felis_azuri
    felis_azuri 2011/09/02
    『議論において、冷静かつ論理的に話そうとしているサイドがいろいろ批判を受けたり忠告されたりするのに、悪罵を投げつけるような汚らしい物言いをする方が同情されるような不思議な情景を良く見る』、禿同
  • Twitter / TAKESAN: @chochonmage さすがに今出てくるとは思い ...

  • 影との戦い - nagonaguの日記

    ブログ | 05:02 | 原稿用紙二枚程度を埋める書評に一日かけてしまった。どうも「水の話」がまだ気になっているようだ。だからといって、なにか考えているわけでもなく、どこか頭なのか、心(同じ脳の活動だろうなどと突っ込まないのよ)なのか、言葉にされるのを待ってなにかが蠢いている。それを放置してぼうっとしているから、仕事も進まない。 なんかとりとめもなく、70年代や80年代を思い出す。フォークソング全盛の70年代は、中学高校だった。吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫をみんなが歌っていた。しらけた時代とかいろいろいわれていたようだが、たぶん時代のキーワードは「やさしさ」だったような気がする。競争させられるのがイヤでイヤでしょうがなかった。授業をサボってともだちとバイクで田舎道を走り抜けていた。大学にもいかず、劇団に迷い込んだのは偶然でしかないが、ドロップアウトは必然だったのかもしれない。あのころ「や

    felis_azuri
    felis_azuri 2009/04/05
    『敵などいない。それはあなたの影だ。敵は自身の影だ』
  • ブログでの討論とは  追記あり - 瀬戸智子の枕草子

    先の「他山の石」というエントリーに対してご意見をいただきました。ありがとうございます。 来ならコメント欄でお返しすべきところですが、長くなりますので新たにエントリーとして立ち上げます。 まずこの問題の考察を深めていく前に、私自身の立場を今一度明らかにしておきます。 個人的には件の騒動に関しては、いずれの立場にも与しません。 何故なら、当事者の方々の詳細(お名前は知っていました)は今回の件で初めて存知あげたからです。 あくまで今回の件を論理というフィルターに通したとき何が抽出されたかに拘りたい立場です。 と、言うことで次に進みます。 進む前に此方で勝手ながらテーマと、そのために検証するべき手順を考量させていただきました。 テーマ「ブログ上での討論・議論とは何か」 手順 討論・議論の目的は何か 目的を達成するための方法としてより望ましいものは何か 今回の件の検証(これに関しては暫定的な可能性

    ブログでの討論とは  追記あり - 瀬戸智子の枕草子
  • 他山の石 - 瀬戸智子の枕草子

    これは備忘録です。 勝手に書いていますのであしからず。 さて、一連の水伝騒動もようやく終息にむかい、ホッと致しました。 と、言うことで今回の騒動に関しては、そうですね、M殻辺りの軌道をグルグル回っていた私(双方の当事者と馴染みがないから)としたら、中心の原子核の方で何が衝突していたのか杳と掴めなかったのですが、、、 ここへきて当事者の方々から次第に明らかになってくる背景を知り、 まさにミッシングリングを見つけた思いです。 つまり「このもやもや感が何か分かった」ということです。 水伝はたんに道具だったということが分かったのです。 とても残念です。 実際、私はこの騒動を知って以来、ずっとモヤモヤともどかしさと悲しさで一杯だったのです。(そして、その様な方が実は多かったのではとも思うのですが) モヤモヤの原因は双方が論理的でないことからくる気持ち悪さ。 もどかしさは、いつまでも推論から離れず同じ

    他山の石 - 瀬戸智子の枕草子
    felis_azuri
    felis_azuri 2009/04/05
    『「批判者は対象に対して敬意をもって接する」 愛だよ、愛』とのこと。
  • 「論理的でありたい」人と「共感性を重んじる」人の「議論」。 : HERIKUTSUなる日々(by ja e w ck)

    うちゃさんのところの上善如水から芋づる式につらなっているいくつかのブログを見て、なんか強烈な既視感にとらわれてしまった。 以下、 あくまでも私の目に写った、この出来事の(そして、過去うんざりするほど繰り返されてきた出来事の)構図を整理した! (もちろん、見る人が変われば別のまとめ方もありうるし、そのことについて否定とか議論する気はまったくない) 【1月10日追記】 今回の事例の方は、最初のエントリーを挙げた段階で、相手の方にトラックバックもコメントもしていないようで。単に、世の中にある言論に関する「個人的な意見」をのべただけのようでした。ので、追記まとめの(1)は私の事実誤認ということになります。が、「その個人だけではなく、世の中の不合理を正したい」という気持ちはあったと(これはまったく私の想像)思いますので、議論の「構図」としては、このまま維持したいと思います。他人の不合理な言動が気にな

    「論理的でありたい」人と「共感性を重んじる」人の「議論」。 : HERIKUTSUなる日々(by ja e w ck)
    felis_azuri
    felis_azuri 2009/04/05
    『今回の場合、 「不合理性への指摘」が「政治的に同じサイド」から来たことを問題視する人が多いが、でも、これほどに明かな「不合理」を「政治的に最悪な敵」が利用しないなんてことはありうるだろうか』
  • 敵は誰か?:または「ムラが嫌いでネットに来た私」と「ネットにムラをつくりつづける人々」。 : HERIKUTSUなる日々(by ja e w ck)

    ブログをいうものをはじめて知ったとき、きわめて無邪気に「これは人類を賢くするツールとなるかもしれない」と思った・・・。 (と、私の思考はさらに深まり、焦点は明確になっていく。今回も具体的事象に関することではありますが「その事実」に影響を与えることを目的とするものではないので、URLなどは省きます。トラックバックなどをこちらか発信することも控えておきます。もちろん、そちらからトラックバックをいただいたときにはお返ししますが・・・) つまり、 1人1人の個人が自分の頭で考えたことをネット内に置いておくことで、肯定的に、または批判的に積み重なり、新しい思考が生まれていく。 もちろん、皆さんご存知のように、現実はそんなに簡単なことではなく、いわゆるネトウヨ現象、いわゆるWEB炎上などということが起こり、私が夢見た「人類を賢くするツール」の役割はまだ10%も果たされてはいない。 (しかし・・・それで

    敵は誰か?:または「ムラが嫌いでネットに来た私」と「ネットにムラをつくりつづける人々」。 : HERIKUTSUなる日々(by ja e w ck)
    felis_azuri
    felis_azuri 2009/04/05
    『公道に置かれた意見を正当に批判する行為が非難されるような理不尽の源となるムラを建設しつづける人々』
  • 「議論の批判」と「個人の批判」。 : HERIKUTSUなる日々(by ja e w ck)

    一つの事象は、さまざまな知的成長をもたしてくれるからおもしろい。 今日いただいたトラックバックをきっかけにして、考えたことを書く。 (以下、具体的事象に関することではありますが「その事実」に影響を与えることを目的とするものではないので、URLなどは省きます。とりあえず元トラックバックをいただいた方以外には、トラックバックなどをこちらか発信することも控えておきます。もちろん、そちらからトラックバックをいただいたときにはお返ししますが・・・) はたして、そうか? 1.ブログ主はバックラッシュに深層でつながるものとして「疑似科学」には非常に大きな弊害があると考えていた。 2.そのような「誤った議論」を世の中からさがして反駁することを継続的に行っていた。 3.その一つのサンプルとして「水伝を取り上げた」ブログを批判した。 明らかに、 そのブログ主は、あくまで「間違った考えのサンプル」としてとりあげ

    「議論の批判」と「個人の批判」。 : HERIKUTSUなる日々(by ja e w ck)
    felis_azuri
    felis_azuri 2009/04/05
    「正論を唱えた人間が、バッシングを受けつづけるのは間違っていないか」 /米欄;『今のこの国に最も必要であるにもかかわらず軽視されつつあるのが知性主義だと思っており』ネットは「補完するためのツール』
  • お玉おばさんでもわかる政治のお話

    2024/08 ≪07 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31   09≫ HERIKUTUなる日々 のjabberwockさんの記事ですが・・ ココロして聞くべき所があります。 私は正月からしばらく、ぶいっちゃんのブログを訪問していなかった・・覗いたときにはもう騒動がかなり進んでおり、そんな中、後付のたんぽぽさんのコメント欄そして、いまだ続いている数日に渡る批判エントリーをまず見てしまったといういい訳はあります。 なので、今現在たんぽぽさんブログで書かれていることが良いとはどうしても思えなかった。 ただ、その上で、 では、私がもし同じ事をされたらどうしたかと言えば、確かにjabberwockさんのいうよ

  • 光るナス:jabberさんへ、返信です。

    追記2(6/26 11:16):僕の配慮が足りなかったことで、jabberwockさんにご迷惑をおかけしてしまいました。 今後、このコメント欄はjabberwockさんだけに開放します。 あとの方のコメントは、入っても今後は気がつき次第 削除させていただきますので。 m(_ _)m 追記(6/12):「言ってないことは言ってない」という表現は、「書いてないことは書いてない」を意味したかったフレーズなので、「書いてないことは書いてない」に変換して読んでください。m(_ _)m これはjabberwockさんからの返信に対する私信です。 「アキラさんへの私信。」 『そんなわけで、また私とアキラさんの認識に「ギャップ」があるようなら、どんどん攻めてきてくださいませ。』 よ〜し、どんどん攻めるぞー!(なんちって♪) こんにちは、仕事がヒマなアキラです。m(_ _)m 早速のお返事、ありがとうござい

  • 人格攻撃と軽蔑と批判の狭間 | アルバイシンの丘

    今回の第何次になるのか,水伝その後の騒動を信じられない思いで見ています.“信じられない”とは,未だに心の決着を着けられない方々が多いというこについてです.水伝騒動というのは埋み火のごとく消えたと思っても誰かがふーっと息を吹きかけるとまた赤々と燃え始めますね.だもんだから吹きかけたい人が次々に現れます. しかし,火種はいつも同じ所. 息を吹きかける人は変われど火の出る所は同じ,という特徴があります.TAKAさんのおっしゃりたいことも究極的には『批判のやり方がまずい』,『そういう批判の仕方では相手を敵に回す』という趣旨に帰着すると思います.実は愚樵さんの再燃記事もそう捉えることができるのです.愚樵さんの表現では,それは『双方から人格攻撃があった=双方からの人格攻撃で始まった』となります. そこで,たんぽぽさんの最初の記念すべき記事, -ずばり、「水からの伝言」を、信じていらっしゃるエントリです

    人格攻撃と軽蔑と批判の狭間 | アルバイシンの丘
    felis_azuri
    felis_azuri 2009/03/15
    「『事実』で争う余地がなければ,あとは『好き嫌い』でしかありません.私もずっと以前の記事で書いていますが,せいぜい『あなたのいうことはわかった.だけどあなたは嫌いだ.』というしかない」
  • 東海林さだおがいいなぁ アキラ様のところでの長いコメント

    アキラ様のところ光るナス 最初で最後(長くなっちゃった)に長いコメントを書かせていただいたのだが、最後のコメントがLivedoorの仕様か、どうしてもはじかれてしまうので、こちらに全文掲載してトラックバックをお送りします。 最初からそうすべきでした。 アキラ様、まず深くお詫び申し上げます。 尚、アキラ様のところにあるコメントは、Livedoorの仕様に合わせた長さにカットしたところがあります。 こちらに掲載したのが、原案です。 アキラ様。 ご回答ありがとうございました。 日は何点か書き残したいことがございましてお邪魔いたしました。 1.まず、先日のご回答の件。 A氏、B氏がC氏が将棋を指しているところを見ているとして、A氏が「C氏はこれまで将棋というものと無縁の生活を送ってこられたんでしょう」という感想を漏らしたとして、B氏が「僕自身も、将棋の専門的な訓練を受けたことはないので、きっと彼

    felis_azuri
    felis_azuri 2009/03/10
    『7%に納得できるというのは、相手が伝えたいことの7%しか読むことができない。伝えたいことの7%しか書くことができない、そういう実感があるからだと思います』
  • 投げかけられた問いかけは、いまも、そこにありつづける。 : HERIKUTSUなる日々(by ja e w ck)

    いまごろになって、昨年の「騒動」について。 『「双方」が不毛な人格攻撃をやった』というようなことを言い出す人がいて、ちょっとした騒ぎになっているようだ。 http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-217.html#comment2034 2009年2月27日13時 誤字など修正しました 2009年3月1日15時頃追記: 文中、昨年の「騒動」中に、アキラ氏が為した行為に関する記述は、氏からトラックバックがあり、意思表明があったので、(100%納得したとはいえませんが)削除しました。このようなことで過去のことを「持ち出した」ことは、あくまで、私の意ではなく、愚樵氏が「双方に」人格攻撃があったと主張され、議論の流れ上、アキラ氏もそれに賛同されているように見えたので「事実を持ってくつがえそう」としたら「持ち出さざるを得ない事実」だったことをお伝えしておきま

    投げかけられた問いかけは、いまも、そこにありつづける。 : HERIKUTSUなる日々(by ja e w ck)
  • 東海林さだおがいいなぁ 再度言うけど、「ルルドと麻原の残り湯は等価です」

    愚樵様 あけましておめでとうございます。 年もよろしく(?)お願い申し上げます。 新年早々わたしの陶しい書き込みを読ませるのもなんなので、ちょっと遠慮しておりました。 とりあえず、詳しくはこちらでエントリを挙げたいと思っているのですが(新年からの貴エントリにも突っ込みたいところが多くて困っています)、「自省せい」とご批判を受けた「ルルドと麻原」についてのみこちらに書き込ませていただきます。 (と、思ったのですが、結局長くなったのでこれもエントリにしました) 愚樵さんの元エントリ ニセ科学と自虐史観批判(1) その前に、 >科学でなければ、また理性的でなければ「なんでもあり」という姿勢 ちと文意が上手くとれないのですが、これは、「科学でなく、また理性的でないもの」を支持するような言説を述べる人のことを「なんでもありだと考えている」と取るような姿勢、と、いうことですか? 私が愚樵さんが「な

    felis_azuri
    felis_azuri 2009/02/09
    『世の中には何でも相対化すればエライような錯覚を持ってるんじゃないかと思えるような人だっています。そういう人は、枠組みの違うことだって平気で相対化して「ドーダ」という気分になれるのかもしれません。』
  • つぶやき - 雑感やらなにやら

  • 東海林さだおがいいなぁ 「ゆがんだフレーム」を壊せ!

    米ニューヨーク市のマンハッタンのハドソン川に2009年1月15日午後(日時間16日未明)、USエアウェイズ機(1549便)が墜落した事故は、乗員・乗客155人全員が無事救助され、大惨事を免れた。 「墜落」、そして「奇跡の着水」のニュースを聞いたG新聞記者(仮名)は、墜落の原因が機長が知らせたという「バードストライク」の可能性も含めた「なにかしらの機械的な原因」であろうという第一感を抱き、また機長の冷静沈着な対応に感銘を受けた。 G記者は自分を「優秀な」記者であると考えていたが、たまたま読んでいた「知的フレームを壊せ!」というブログエントリの中に、 「優秀な」記者ほど取材する前にすでにもう記事の概略が頭の中にできあがっている。あとは、その概略に適応する事実をピックアップするだけ。 そして、前もってできあがっている概略こそが、「知的フレーム」です。 という一文があったのを思い出し、自分の持つ

    felis_azuri
    felis_azuri 2009/01/27
    墜落原因: 『12.「ルルドと麻原の残り湯が等価である」と言った奴に対するみせしめ。』に一票。オリジナリティ溢れる表現が評価ポイント(って、そういう話?)。奇跡の着水の理由は、、15番ぐらい!(追加希望)
  • きほんのき - 百丁森の一軒家・別館

    felis_azuri
    felis_azuri 2008/10/26
    コメント;『煙にまいたはずの素人からも見放されるということを考えると、その行為は全く引き合わないと思います。 』<−それでも信じる非・専門家がいると思われる。
  • http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20081024

  • http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20081021

  • 発端と帰結、見えてくるもの:Chromeplated Rat

    おとといのエントリで触れた政治系ブロガーの「水騒動再燃」に関連して、この騒動を(外側から)丹念に観察しておられた玄倉川さんが「水伝」騒動とリベラリズムおよび「所属する」リベラル、「なる」リベラルと云うエントリをお書きになっている。 これらのエントリは、騒動の周辺にいたとあるブロガーの「リベラリズム」認識に関して書かれたものであり、その主題そのものについてはぼくがなにか云うべきようなことではない。ただ、 水葉氏が反知性の人であればそれはそれでいいけれど(当はよくない)、彼女の運動論的な考え方とは矛盾するように思う。知性によって他者の理と自分の利を適応させてはじめて運動が成功するのであり、「反知性でもいいじゃないか、にんげんだもの」というやり方ではあちこちから矛盾が噴出して空中分解するだろう。と云うような玄倉川さんの理解には深く同意する。 で、なんか似たような構図を、ぼくなんかは日常的に見て

    felis_azuri
    felis_azuri 2008/04/18
    『こう云うひとたちの望むような政治体制が実現したら、それは少し前の東欧とか東南アジアに見られたような縁故主義の横溢するものになる』
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