先に書いたエントリ、『一番最近読んだ怖い本;「母は娘の人生を支配する」』で、私の引用した一節に、とある方から疑問を呈された。この一節だ。 ファルス(ペニス)中心主義という「偏見」にさえ陥らなければ、精神分析とフェミニズムはきわめて相性がよいのですが、このことからもおわかりの通り、私は「ジェンダー」の考え方を全面的に肯定します。男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない。精神分析フェミニズムに近い私は、これまでこの前提を疑ったことは一度もありません。 この、『男性であり、女性であるということは、ほぼ完全に社会的・文化的な慣習によって支えられた区分に過ぎず、そこにはいかなる生物学的な本質も関係していない』との文章は、『「男性であり、女性であるということは」100%環境による』という主張と読め、