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reviewとbookに関するfijixfijiのブックマーク (180)

  • 群衆の責任、いずこ - 書評 - ウィキペディアで何が起こっていのるか : 404 Blog Not Found

    2008年10月29日16:00 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 群衆の責任、いずこ - 書評 - ウィキペディアで何が起こっていのるか 自腹購入。 ウィキペディアで何が起こっていのるか 山まさき / 古田雄介 これを読了したおかげで、 たぶん越権さんには通じないと思うけど - finalventの日記 finalventさんのはてなブックマーク観について にちょっと割り込みたくなった。 書「ウィキペディアで何が起こっているのか」は、ウィキペディア批判の一冊ではあるのだけど、むしろ副題の「変わり始めるソーシャルメディア信仰」にこそ主題がある一冊ゆえに、当然はてな村にも適用可能であり、実際はてなの名も何カ所かで登場する。 目次 - Amazonより 第1章 ウィキペディアとは ウィキペディアの何が画期的だったのか ウィキペディアの運営母体 ウィキペディアのユーザー ウィキペデ

    群衆の責任、いずこ - 書評 - ウィキペディアで何が起こっていのるか : 404 Blog Not Found
  • この本棚がスゴい「本棚2」「本棚三昧」

    スゴい棚を見るとウラヤマシイが、素直に言えない俺ガイル。 「ふんだ、どうせ死ぬまでに読みきれないでしょうしー」とかツンデレぽく腐してみるものの、やっかみにしか聞こえないね。図書館パワーユーザーの看板はおいそれと下ろせないので、こうして人さまの棚でガマンすることになる。 まずヒヨコ舎の「棚2」がいい。 を糧にして生計を立てている人たちの棚は、やっぱりスゴい。物量だけでなく、その人の「色」がよく見える。図書館や書店は、よくも悪くも最大公約数的な選書をしているのと好対照を成している。 たとえば、どう見ても古屋の倉庫にしか見えない岡崎武志の棚群は必見。氏に言わせると、「捨て犬を連れて帰るって感じ」なんだそうな。「それでこんなふうになっちゃったんですね」と次ページのの洪水を見ると、嫁子がかわいそうに思えてくる("逆"なのかもしれないが)。 それから、COCOさんとこのは危険だ。SFS

    この本棚がスゴい「本棚2」「本棚三昧」
    fijixfiji
    fijixfiji 2008/10/26
    今度、みよう。
  • 文章は接続詞で決まる - 情報考学 Passion For The Future

    ・文章は接続詞で決まる 「「てか」を好んで使う人は、すぐに新しい話題に移りたがる飽きっぽい人かもしれませんし、「ようするに」が口癖の人は、結論を急ぎたがるせっかちな人なのかもしれません。「でも」をよく使う人は、他人の言うことを素直に受けいれるのが苦手な頑固な人である可能性があります。「だから」を使いたがる人は、自分の主張を人に押しつけたがる押しの強い人かもしれませんし、「だって」を好む人は、言い訳が癖になっている、自己防衛能が強い人かもしれません。」 接続詞の使い方を見ると隠れた性格がわかるという話。特に講義のような独話では接続詞は書き言葉の2,3倍も多く使われるそうだ。シーン別によく使われる接続詞ベスト5の比較が面白かった。文章のらしさは接続詞が決めている部分も多そうだ。 新聞:しかし、また、だが、一方、さらに 小説:しかし、そして、それで、だが、でも 講義:で、それから、そして、つま

  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」

    「だめな奴は何をやってもだめ」という箴言は、国にもあてはまるのかもしれない。 すなわち、「だめな国は何をやってもだめ」。国家まるごと腐りきっており、大統領から警官まで賄賂と蓄財に勤しむ。国家経営は破綻し、令状のない逮捕、裁判のない拘留、嘘選挙がまかりとおる。行政機関は国家資を強奪するために存在し、軍部の武器は国内に向けられている。 まず、資が流出し、次に教育のある労働力が逃げ出す。大統領命令でお札を刷りまくり、「超」のつくハイパーインフレになる。援助は指導者の蓄財にまわされ、海外の銀行に貯め込まれる。社会資として回転しないから、経済の発展もない(アフリカ最貧国の指導者の多くは、世界でも超富裕階級に属している)。 そして、外からの非難に対し、大統領は「レイシスト」だと反撃する。国家の荒廃は「元」宗主国の陰謀だと断じ、仮想敵をつくりだすことによって自分への不満をすりかえる。結果、部族間の

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: アパルトヘイトの時代臭「鉄の時代」

    どの小説もその時代と場所につながれている。 「世界文学」だの「時代を超えた」といった麗句は、その時代と場所を取捨し、普遍性だけに目をつけているから用心しないと。残雪「暗夜」やクンデラ「存在の耐えられない軽さ」を、文化大革命やプラハの春から乖離させて語るわたしは、表層をなでているに過ぎないから。 いやいや、逆の言い方もできるぞ。残雪やクンデラを通じて、その時代や場所を知るんだ。フィルタリングされたスコープで、時代を覗き見するといってもいい。残雪は暗喩として、クンデラは直喩として。 クッツェー「鉄の時代」で描かれるアパルトヘイトは、メタファーのようなまだるっこしさはない。物語のなかに、まるで映像のようにクッキリと臭いが写りこんでいる。彼がこれを書いたのは、1986-89年で、アパルトヘイト体制末期だった――などと、したり顔できるのは過去話だから。非常事態宣言が発動され、内乱状態だった時代から、

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: アパルトヘイトの時代臭「鉄の時代」
  • 時間感覚を変える「アフリカの日々」

    「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンが絶賛してた小説、といえば思い出すだろうか? ほら、図書館員が間違って渡したやつ。 読んでいるとき、時間の流れかたを意識するほうだ。(物語の)中の流れと、読み手のわたしの時間と、両方を意識する。もちろん物語の流れは一様ではないし、外のわたしの感覚も一定ではない。ちょうど、併走する自動車の窓ごしに握手するようなもの。うまくシンクロするとフロー感覚が得られ、スピードアップすると「めくるめく」という表現を当てはめたくなる。 そういう意味で、ディネセンの「アフリカの日々」は、まるで違う時間が流れている。 そこにはディネセンの時間が頑として在り、わたしは自動車を降りざるを得ない。この語りにつきあうために、歩いていくほかない。著者は自動車に乗ったり飛行機に乗ったりするが、流れくる時のスピードは歩くのと変わらない。いつものように、うっかり速度をあげると、美しい光景はあ

    時間感覚を変える「アフリカの日々」
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる - 無制限の想像力が爆発する「やし酒飲み」

    ブッ跳んだ小説。いかにもムラカミハルキが書きそうな。 ナイジェリアの作家、エイモス・チュツオーラが書いた、奇想天外な大冒険。やし酒を飲むしか能のない男が、鳥になったり神になったり石になったりして、やし酒づくりの名人を探す旅。 想像力のナナメ上を形容して「荒唐無稽」といわれるが、こいつは次元すら超えている。頭蓋骨だけの生き物。地をはう巨大魚。後ろ向きに歩く死者…そこには人と神と精霊と妖怪の一切に区別がなく、生者と死者も一緒くた。形や大きさ、運動を支配する法則は通用せず、因果も論理もめちゃくちゃだ。 語りくちすらぶっ壊れている。冒頭はこうだ。 わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。 「だ・である」と

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる - 無制限の想像力が爆発する「やし酒飲み」
  • 補整しながら読む残雪の「暗夜」

    中国の不条理小説。痛勤電車で両手バンザイさせて読んだわたしもシュールだw おもしろい…けど、いつものように素直にオススメできない。というのも、「ワケ分からん」小説でもあるから。編者の池澤氏は「カフカをおもわせる」と評するが、カフカ的とはちょっと違うような…(著者がカフカを書いていることに引きずられているぜダンナ)。 おそらく池澤氏は、「虫」や「城」や「掟」を念頭に置いているんだろう。しかし、あれはちゃんと目指すものがあるぞ。不条理な世界を突きつけることで、現実へ"揺さぶり"をかけることが目的なの。だから、「その世界」でのつじつまはちゃんと合っている。試みに、「虫」や「城」や「掟」を別名で置換してみるがいい。たとえば、「病」や「官僚機構」、あるいは「良識(≒KY)」の隠喩にすると腑に落ちる。 これが、残雪の小説だとまるで違う。物語がものがたりの体をなしていない。どの短編でも主人公は要領を得

    補整しながら読む残雪の「暗夜」
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 首が切断されるでしょうwww「巨匠とマルガリータ」

    現実と幻想が濃厚に融合している怪作。 ケタケタ笑って読んでもいいし、いくら深読みしても耐えられる、軽薄かつ堅牢なつくり。小説としてしっかりしていれば、その容器(うつわ)に何を入れても許される好例だね。 単なるファンタスティックに走り出さない。リアリズムからつかず離れず、一定の間隔をおいている。この距離感が絶妙なので、ナザレ人のイエスが蝿まみれになって死んでゆく様が異常なほど克明に見える。さらに、モスクワじゅうを大混乱に陥れる荒唐無稽さをたぐり寄せてゆくと、スターリン時代の恐怖がズルズル剥けだしてくる。 この「つながっている」感覚は、映画監督ミヒャエル・ハネケ(カフカの「城」 で有名)のコトバを思い出す。 衝撃的な映像にマヒしている観客に、暴力をどう見せるかは問題ではない。問題は観客に、その暴力が自分とは無関係ではないことをいかに自覚させるかだ 1930年から、さらにソビエト連邦から遠く離れ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 首が切断されるでしょうwww「巨匠とマルガリータ」
  • 処女膜ばかり気にしててサーセン「太平洋の防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは」

    助平なんでハァハァしながら読んだぞ。テーマはこれっぽっちもハァハァするもんじゃないんだが、好きに読ませてもらうのは読者の特権。 フランス女性小説家を代表する、デュラスとサガンの3作が入っている。どれも、美処女が恋をしてセックスに狂う話―― だけではなく、もっと重いテーマが横たわっている。 太平洋の防波堤(デュラス) 愛人 ラマン(デュラス) 悲しみよ こんにちは(サガン) 世に出たのは50年ほど前、だから「まだ子どもみたいな少女がセックスの快楽を貪る」描写はかなりセンセーショナルだったかと。そして、あんだけヤってて、これっぽっちも妊娠するそぶりすらないのも、当時の読者のアタマをアツくしたんじゃぁないかと。小説に教訓めいたものを求める輩は、「ひと夏の恋→セックル→予期せぬ妊娠」を弁証法のように振りかざすから。 ■ マルグリット・デュラス 処女を失うことは、それぞれの小説で象徴的に扱われている

    処女膜ばかり気にしててサーセン「太平洋の防波堤/愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは」
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる : 「存在の耐えられない軽さ」はスゴ本

    これはクンデラの歌劇だ。でなければ、物語の体裁をした長い長い独白にすぎない。 愛し合う男の、女の言葉の端々でクンデラの視線とぶつかる。10年前に読んだとき感激したのは、「愛」の字義しか知らなかったからじゃないかと自問。だから、ただひたすら、うつくしい性愛の小説として読んだ。 どうやら、これはわたしだけじゃなさそうだ。同名の映画なんてまさにそうで、「プラハの春」を歴史背景にメインのカップルを鮮烈にエロチックに描いている。「クンデラ=性愛」にバインドされちゃってることについて、こんなアネクドートがある(ネタ元は[文学全集を立ちあげる])。 イギリスの批評を読んでたら、こんな一節があって、うまいなあと思ったの。「昔は何か猥を読みたくなると、『さて、フランスの小説でも読もうか』と言ったもんだ。今はそういうときに、『さて、チェコの小説でも読もうか』と言わなければならない」という書き出しでクンデラを

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる : 「存在の耐えられない軽さ」はスゴ本
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: やりたいようにやればいいじゃん、しゅごキャラが憑いてるよ「楽園への道」

    All kids hold an egg in their soul... Egg of our hearts... Our would-be selves... Yet unseen ... But adult? 「なりたいアタシ」や「ありたいジブン」は、普通、「夢」と呼ばれる。大きくなったら何になりたい? その子にとって大切なタマゴのようなものだ。みごと、そのタマゴを孵化させる人もいれば、割ってしまう人もいる。 だが、それは子どもがオトナになる過程で実現したり失ったりするもの。 では、いいオトナがそうしたタマゴを見出してしまったら、どうなる? 書の2つの人生が、それぞれ答えを示している。ひとりは、ポール・ゴーギャン。高給と子を投げ捨てて、絵を描き始める。もう一人は、その祖母フローラ・トリスタン。貴族生活から脱し、労働者や女性たちの権利確立のために奮闘する。 自分を生贄にして楽園を目

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: やりたいようにやればいいじゃん、しゅごキャラが憑いてるよ「楽園への道」
  • 東大が求める人材とは「東大入試 至高の国語 第二問」

    嘘かまことか、現国の入試問題から「東大が求める人材」があぶりだされている。 30年分の過去問から読み解かれた「東大入試の質」というやつは、非常に奇妙だが納得はできた。すなわち、東大現代文は、「死」を主題とした問題が、もう何十年も出続けているのだという。著者曰く、「死にとりつかれていると言っていいほどの頻出ぶりである」だそうな。東大は、「死」という簡単に答えの出せない、標準解のない問題を突きつけているのだ。 たとえば、病に冒された国木田独歩に手紙を書けという1982年の第二問。アタマを抱え込むことを請合う。独歩は死を覚悟しており、気弱な面と実際的な側面をまぜこぜにした手紙をよこしている(その手紙が出題文)。これを受け取ったと仮定して、返事をかけというのだ。しかも200字、どうすりゃいいの? あるいは、1985年の第二問。金子みすヾの詩を二編ならべて、「各自の感想を記せ」という。(゚Д゚)ハ

    東大が求める人材とは「東大入試 至高の国語 第二問」
  • やべぇ、書きたくなった。:『読書進化論』書評 - ミームの死骸を待ちながら

    早めに研究室から帰って風呂に入り、まったり証券会社のエントリーシートでも書くかーでもその前に今日買ったちらっと見るかーと何気なく手に取ったらこれはやばい! ぐいぐい引き込まれる。 読書進化論?人はウェブで変わるのか。はウェブに負けたのか? (小学館101新書) 作者: 勝間和代出版社/メーカー: 小学館発売日: 2008/10/01メディア: 新書購入: 10人 クリック: 79回この商品を含むブログ (227件) を見る 勝間さんの引き出しは底無しか! 親指シフトの執筆速度に敵無しか! 一気に読了してしまいました。ごちそうさまです。このは僕にとって「書きたくてむらむらしてくる」でした。てなわけで、風呂あがりのほかほかした脳でこれを書いている。 小学館:読書進化論 特別ページを用意するなど、気合が入っている。 勝間和代のBook Lovers (ブックラバーズ): 「読書進化論」の

    やべぇ、書きたくなった。:『読書進化論』書評 - ミームの死骸を待ちながら
    fijixfiji
    fijixfiji 2008/10/16
    読みたいなー。
  • 活字中毒日記:波打ち際の蛍   島本理生 - livedoor Blog(ブログ)- キアの1日1冊書評

    ラブストーリーは、私があんまり好んで読まないジャンルなのですが、島理生の作品なら、読んでしまいます。 初めて読んだ島理生作品の「ナラタージュ」のあまりの凄絶さと痛々しさに魅せられてしまったからです。 書評・レビューランキング あなたの呼吸が止まるまで」だとか、「大きな熊が来る前に、おやすみ。」だとか、なんでこんなに島理生は「暴力」をモチーフにした作品を多く書くのだろう?と今まで不思議に思っていましたが、先日読んだ初エッセイの「CHICAライフ」にて、その謎はとけました。 それは、島理生が筋金入りのダメ男好きだから。昔の彼氏に殴られそうになって逃げたエピソードも書かれていたし。 この、「波打ち際の蛍」は、主人公の麻由と、カウンセリング専門の相談室で出会った蛍のラブストーリー。 麻由は、かつて同棲していた彼氏の暴力で心に傷を負ってしまい、その傷ゆえに男性に触れることができなくなっていま

  • の鍛え方 - 情報考学 Passion For The Future

    ・<勝負脳>の鍛え方 「最初から百パーセント集中せよ」「相手の攻撃は最大のチャンス」「相手の長所を打ち砕け」「勝負の最中にリラックスするな」。北京オリンピック日選手団に勝負の勝ち方を講義した有名な脳外科医によるベストセラー。 著者は「意識」「心」「記憶」は連動しているという「モジュレータ理論」を提唱している。脳内のドーパミン系神経群がその三者の連動させていると考えており、それを最適化することで、人間は潜在的な能力を開発できるという。 具体的には「サイコサイバネティックス」と呼ばれる行動理論を応用する。 1 目的と目標を明確にする 2 目標達成の具体的な方法を明らかにする 3 目的を達成するまで、その実行を中止しない 目的よりも目標を心掛けることが勝利の秘訣になる。オリンピックなどで優勝選手が「気がついたら一位になっていた」「結果は気にせずよいプレーを心がけた」というコメントをする選手がそ

  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「アルケミスト」はスゴ本

    スゴ。ただし、読了後「もっと早く出会っておけば…」と後悔した一冊でもある。 箴言の詰まった寓話としても読んでいいし、自己啓発としてもいける。その証拠に、amazonレビューの方向がなんとバラバラなことか。前者として読んだ方には、サン=テグジュペリ「星の王子さま」を、後者とみなす方は、オグ・マンディーノ「地上最強の商人」をオススメする。それぞれのベクトルの最高峰だから。 つまり、この薄い一冊に、両者のエッセンスが蒸留されているんだ。 BGMは岡村孝子「夢をあきらめないで」が最適――というか、読んでる間ずーっとこの曲が頭ン中をエンドレス。テーマも曲調も歌詞も、書がそのまま歌になっている錯覚に陥る。主人公の少年に対し、アルケミスト(錬金術師)が放った次の一句なんてぴったり。 傷つくのを恐れることは、 実際に傷つくよりもつらいものだと、 おまえの心に言ってやるがよい お話を一言でネタバラシす

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「アルケミスト」はスゴ本
  • 量子力学の巨人が生命の本質に迫る「生命とは何か──物理的にみた生細胞」

    アプローチは秀逸だが、「生命」そのものに対するズバリの答えはない。 むしろ、「生命体」や「生命活動」とは何か、といったお題が適切かと。生きている細胞の営みを物理的に定義しなおした場合、どのようになぞらえることができるか? について、実にうまく表している。 半世紀を経て、なお刺激的なのは、シュレーディンガーの「問いの立て方」が上手いからだろう。たとえば、「原子はどうしてそんなに小さいのか」という問いへのブレークスルーな答えがある。それは、この問いの言い換えによる。つまり、当は逆で、「(原子と比べて)人はどうしてそんなに大きいのか」という疑問に答えているのだ。 だから、「もし人間が原子に影響を受けるぐらいのサイズだったら、今の感覚器官や思考形態をとれない」という人間主義的な匂いが醸されて微笑ましい。なんとなく循環論法(?)と思えてくる。 いっぽうで、生物を「時計仕掛け」と見なすことで、さまざ

    量子力学の巨人が生命の本質に迫る「生命とは何か──物理的にみた生細胞」
  • 【モテ】「草食系男子の恋愛学」森岡正博 : マインドマップ的読書感想文

    の概要】◆今日お送りするのは、当ブログ定番(?)の「モテ」。 タイトルにある「草系男子」というのは、書での定義ですと、「優しく、まじめで誠実だけれどなかなか恋愛に積極的になれない男性」を指すのだそう(一般的な定義と若干違うかも)。 ただ、実際には、「恋愛に積極的になりたいものの、どうしたらいいのかわからない」男子にも得るところ満載です。 ◆ちょっと長くなりますが、アマゾンの内容紹介から引用。「いい人」で終わりがちな「草系男子」のために。 モテにはない「きちんと愛し、愛される男(ひと)」になる方法を伝授します。 優しく、まじめで誠実だけれどなかなか恋愛に積極的になれない男性=「草系男子」。「いい人」で終わってしまいがちな「草系男子」は実は多数存在する。 女性は幼い頃からマンガなどで「恋愛教養度」を高めているが、男性はそうした機会に恵まれず、いきなり恋愛の荒海へ放り出される。

    【モテ】「草食系男子の恋愛学」森岡正博 : マインドマップ的読書感想文
  • フィクションとノンフィクションがせめぎあう「戦争の悲しみ」

    ヴェトナム戦争を、ハリウッド映画で知ったつもりの頭に、ガツンと一撃。 オリバー・ストーンやコッポラ、キューブリックだけじゃない。カチアートを追跡してその狂気に交ざり、おとなしいアメリカ人のダブスタに戸惑い、輝ける闇を覗き込んで震えた――が、これらはレイプする側か、現場を視姦する立場から描いたヴェトナム戦争。 反面これは、蹂躙される側から描いた抗米戦争。投下される爆弾と流れる血の量はハンパじゃないので気をつけて。空爆と空襲の違いは、片方が一方的に圧倒的なところにある。あんまりな描写にフィクションとして扱いたくなる。キャタピラにこびりついた人肉が腐りきって辟易し、河に入って戦車を洗車するくだりは見た人にしか書けない。 「…中でハンドルを握ってると、その感じがピンと来る。地面の小高くなっているとことか、木の切り株とか、倒れた煉瓦塀とかに乗り上げるのと全然違うぜ。あっ、こいつ間違いなく人間だ、人間

    フィクションとノンフィクションがせめぎあう「戦争の悲しみ」