最近あちこちで言われてますねぇ。『脱オタの目指すものはオタク趣味を放棄することではなく、脱コミュニケーション不全とか脱非モテと呼ばれるものだ』って話。まぁ、現実的には『オタク趣味が一般的認知を受けたから』放棄しなくても良い、って話になってきたと言うことでしょう。 んでもね。最終的に目的とするのは何なのか、と。それが肝心じゃないの?と思うわけです。誰かに愛されたいのか。それともあれやこれやの差別を受けなくなりたいのか。どうもその辺りが混ざった状態で話が進んでいる気がしますねぇ。 愛されるってのは、他の誰かと区別して自分だけを特別扱いしてもらうという事で*1、ある種の差別を容認せざるを得ない。これは同時に、差別を完全に否定する事は個として愛される事を否定する事でもあります。そう。どちらも問題の本質では無い。差別されることが問題なのでは無く、侮蔑される事が問題なんですよ。 この侮蔑感情の根っこに