「目に映る21世紀」さんのところ経由で、いわゆる「秋葉原にDQNがやってきて、傍若無人な行動を繰り返している」という問題意識を感じました。 私は正直言うと、「森川嘉一郎」的な秋葉原理解が、とても気にいらないのです。 秋葉原を「おたくという人格をベースに発展した街」という箱庭的なものとして理解するのは、さも秋葉原という街だけが、他の街と違った「固有のアウラ」を持ち合わせているような、酷く杜撰な理解のように思うのです。 秋葉原はけっしてオタクの人格ではなく、他の街と同じように、資本主義という合理性の下に変容してきた街だというのが、私の理解です。 他の街と違うのは、秋葉原において店舗がさかんに移動するような、極めてフレキシブルな店舗の変化があるということです。それは多分、不動産形態による特有性でしょうから、そのうちに秋葉原の土地の権利や店舗契約などが、他の街とどのように違うのかを調べることによっ