つまるところ、他者に向けて何かを発信すると言う行為そのものが、そういった要素を持っているということだ。 かつて、不特定多数に対して発信するということについては資格が必要だった。その資格とは状況に過ぎないけれども、売れない物書きは資格を持っているとは言えない。物書きがいて、編集者がいて、出版社があって。作家は普遍化された〜あるいはその特殊な〜幸せや苦しみや悲しみを一手に引き受け、言葉を搾り出し、賞賛と呪いの言葉を浴びつつ、発表し続ける。その苦しさと楽しさを自覚していることが作家としての条件なのであろう。 翻って、現在の誰でも不特定多数に言葉を浴びせることのできる状況と言うのは、たとえそれが個人の日記として書かれた物であっても、同様に賞賛と呪いの言葉を浴びなければならないという状況なのだろうか。無論、そうだ。「ねえ聞いて聞いて」、と言う。放送室の、マイクのスイッチが入っていることに気がつかなか