「病んだら書くな、嫌なら読むな」というのが、ネット上では多数派を占める「正論」のようである。 とはいえ、身の内にたぎる衝動が言語化されてあふれんばかりに荒れ狂うという症状もまた、現実に存在するものなので、ついつい書いてしまうというよりも、症状の処理のために、その緩和策のために書かざるを得ないという状況は、事実として発生するのである。 ご理解いただきたいとは言わないし、どうぞご利用くださいなんてもっと言わないのだが、ただ単に事実として存在するということは、自分のこれまでの行為が証明している。 その「余計なこと」を書いてしまうという異常な側の「無神経さ」を指摘するなら、正常な側の「無神経さ」もまた同じで、要は、その文章の発端となる感情が陰陽のどちらに属しているかというだけの違いに過ぎない。 そして、その陰陽のうちの陽だけを正常・正当・正論と認める態度とは、自分が見渡す空間を自分と同じ意見で染め