昨日に引き続き、「不真面目な元化学屋の戯言(現在法曹へ向けて学習中) - セクシュアリティ」に対する言及です。今回は、昨日書ききれなかった「性的少数者と異性愛者の間の摩擦や紛争に関して、『根本的な解決などない』というのは正しいのか?」という点についてです。 寛容たれという平等主義と粋すぎた均一化は、結局の所思想の押しつけになり、マイノリティもマジョリティーも根本的な解決から離れていって締まっている気がします。根本的な解決とは、根本的な解決など無いことを認めることだと思いますがいかがでしょう 単純な平等主義と均一化が問題を解決しないことには同意します*1が、そのふたつが問題を解決しないからと言って「根本的な解決などない」という結論に飛びつくのは論理的でないと思います。 あたしは、セクシュアリティの差異による摩擦を解決する根本的な方法は、マイノリティとマジョリティのそれぞれがエスノセントリズム
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