木の家をつくる建築家。国産材と自然素材で平和な家を作ります。戦争と放射能は人間と共存できません。地上から無くすためにはどうしたらいいのか、毎日考えています。 ウン十年前の夏に、しばらく水俣に滞在したことがある。 患者さんのミカン畑で手伝いをしたり、船に乗せてもらったりした。 ミカン畑から見た不知火の海は、まさに苦界浄土であった。 この世とは思われない美しさと、目に見えない苦しみをたたえていた。 あの光景が、今でも目に焼き付いている。 (生産者グループきばる のHPより) チッソが拒否表明 水俣病救済 与党PT案『株主理解得られぬ』 2007年11月20日 後藤会長は、被害者一人当たり二百六十万円の一時金を支払うなどとした一九九五年の「政治決着」に触れ「(当時)これが最終決着だと、あれ以上ない努力をした。清水の舞台から飛び降りる気持ちで(費用負担を)引き受けた」と説明 おいおい ちょっと待て