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ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (23)

  • 「尊厳」と「自由」で矛盾してるよ - 地を這う難破船

    by ASIAN KUNG-FU GENERATION 特に深い意味はない。 ⇒直接的暴力のみが暴力だと思ってました。 - halt. ⇒在特会は悪くない、ということになりました。 - halt. ⇒僕が差別と戦って、それで暴力が無くなりますか? - halt. ⇒クズも馬鹿もお互い様 - 地下生活者の手遊び 佐藤亜紀氏が『終結宣言』で「偏見は人を殺す」と繰り返しているのを拝見したとき、この際なので「もちろん偏見は人を殺すが、偏見が人を殺すたびに表現の自由を制限していてはきりがない」とはっきり書こうかと思ったが、やめた。色々な意味で火に油だ。大惨事だ。――hokusyuさんが言われるところの<あること>とは、つまりそのように言い切ることなのだが。そしてmojimojiさんが指摘した「ご都合主義」もまた、そのことだった。 結局のところ、このような誤謬は「表現の自由」至上主義者がなんとか<ある

    「尊厳」と「自由」で矛盾してるよ - 地を這う難破船
  • リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船

    絶句したので書く。 ⇒はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ ⇒はてなブックマーク - YouTube - 在特会・東京デモを侮辱する反日シナ人が即撃沈される!(21年9 27) ⇒はてなブックマーク - http://news.2ch.at/news/s/news2ch24160.jpg id:hisamatomoki これはひどい, これはひどすぎる, デモ, 社会, 在特会, 政治, 酷使様  最悪の事態にならなかったことは不幸中の幸い。/ とにかく、こういうバカなことやる連中は右も左も淘汰されるべきだけど。これだから「自称絶対正義」は。/ 日の丸を汚してるのは間違いなくこいつら はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ hisamatomoki メタブクマ  参加者のところの情報(mixi)だけど、叩いて

    リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船
  • 「個人の尊厳」の贖い - 地を這う難破船

    選挙結果が判明して以来色々とゴタゴタして更新が滞りました。都民の私は比例は社民に入れました。 ⇒「種としての個体」と自民自滅後の表現規制(追記アリ - 地下生活者の手遊び ⇒2009-09-04 反論、ということでは必ずしもなく、フォローとして少しコメントを。駆け足の雑駁な議論になりますが。 私の見解では。レヴィ=ストロースの仕事とは、共同体的社会の「可能性の中心」を近代の場所から読み解く試みでした。だから、彼は共同体的社会を人類の事実性の問題として単に主張しているのではもちろんない。共同体的社会の「可能性の中心」に「個人の尊厳」がある、とはたして彼は言ったか。――「個人の尊厳」を何によって贖うか、という問題です。 僕はここで、「権力と自然両者」を「システム」と読み替えますにゃ。 文化とはもともと「自然の鉄則」とか「弱肉強の原理」「世界はこういうもの」とかいった「システム」への否定として

    「個人の尊厳」の贖い - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/09/09
    「これら一切がひっくるめて問題、というよりこのことが問題の本丸」「繰り返しますが、「個人の尊厳」という観念と人権思想は違います。」
  • 寝室の市民権 - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090718/p1 「当の」云々、と大いに誤解を招く書き方をしたことは事実です。またNaokiTakahashiさんが反論として書いておられるわけではないことも重々承知していますが、弁明させていただきますと、私は真贋の話をしているのではありません。「いやそんなサディズムは偽物だ」「サドの文学作品を読んでみろ」ということを言っているのでは私はまったくない。そのような優越感ゲームで済む話ならどれほどよいか。 tikani_nemuru_MさんもApemanさんも、当然佐藤氏も、その問題意識ゆえに、かなり根源的なラインまで突っ込んできており、反論も厄介です。 tikani_nemuru_MさんとNaokiTakahashiさんの議論の中でSMという問題が示され、それに対してtikani_nemuru_Mさんは、相互

    寝室の市民権 - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/07/21
    「「近代的な人権概念と整合しない」性が否定されることと、そのとき「二次元」であるところの陵辱表現が肯定されることは、別の問題です」
  • 蹂躙の中の自由 - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - nanae_llのブックマーク / 2009年7月14日 nanae_ll 性  「合意がないからSM」…えーと、世の中には「SはサービスのS、Mは満足のM」という言葉もありまして(何)/まあ軽口はともかく、サディズムを「嗜虐趣味」、マゾヒズムを「被虐趣味」とするならば、(メタブへ続く) 2009/07/14 nanae_ll 性  (続き)両者の合意に基づくSMプレイはありうると思いますし、程度問題ですが一概に否定されるものでもないと思います/というか、DVの類とプレイを区別するために「合意」が必要だと思ってるんですが、私は。 2009/07/14 nanae_ll メタブ  NaokiTakahashi様 すみません、私は生身基準の話しか出来ないので;/ただ、「生身の問題」であれば、合意のないSMって単なる暴力ですよね?/y_arim様 自覚はあるので、表現論

    蹂躙の中の自由 - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/07/17
    ああ、死者と破壊のない戦争をミリオタは愛せるのか、というミリオタとしての自問自答が、また。。平和と人権の敵であるwarmongerはさっさと死ね、と「近代」に言われたら、と時々思う
  • 周縁文化と世間様 - 地を這う難破船

    ⇒2009.7.6: 日記 佐藤亜紀様 また、遅くなってしまいました。申し訳ありません。時間が取れなかったこともあるのですが、書きあぐねていたことも確かです。認識の面では同じくしうる点が多いと考えるにもかかわらず、対立することについて。tikani_nemuru_Mさんとの議論についても併せて考えていました。 ■ そもそも自由主義とは、タダ乗りを認める社会思想です。タダ乗りを認めるところに社会思想としての自由主義の意義がある。だから、タダ乗りについて指摘したところで自由主義の立場においては「それがどうした」になる。以降は個々人のモラルの問題。むろん、タダ乗りが過ぎてシステム自体が瓦解する危険性は常に孕んでいる。しかし、リソースの有限性を問う必要がない表現の問題においては、タダ乗りが過ぎた結果によるシステムの瓦解は新式のスターリンの登場でしかありません。 保守主義的な立場においては、タダ乗り

    周縁文化と世間様 - 地を這う難破船
  • 自由の核心にあるもの - 地を這う難破船

    些か応答が遅れて申し訳ありません。更新の時間が取れませんでした。 ⇒ロクでもないけどこれしかない - 地下生活者の手遊び ■ まず第一に、国がマンガの美術館を作るということは何ら不自然ではない。すでにある国立の美術館に並んでいる芸術作品と同じくらいの気合で、我々はマンガを描いている。国立のマンガ美術館、やれるものならやってください、でも無理でしょう? というのが僕の考えだ。 アート全体にも言えることだが、マンガの中には政府や政治家にとって都合の悪いもの、眉をひそめるようなものがたくさんある。そういうものがほとんどだ、と言ってもいいくらいだ。国や政府が保護したり育成したりバックアップできる代物ではない。 例えば非常にエロチックなもの、あるいはくだらないもの、「くだらない」とくくられるもの、そんなマンガがすべて、国の建設した建物の、劣化を防ぐために空調が完備された部屋の棚にズラーッと並べられ

    自由の核心にあるもの - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/07/02
    ああなるほど!と思って一気に読んだ。sk-44氏は「ヘイトスピーチは公共圏の問題」というところから本当にぶれない
  • 同心円の只中で - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/K416/20090627/1246070435 ⇒2009-06-27 反日を在日日人が叫ぶのと、在外日人が叫ぶのと、在日外国人が叫ぶのは、違います。全然違う。日の丸ウンコが許されるのは在日日人だけ。日の丸が血に塗れていようがいまいが関係ない。日の丸が血に塗れていることを告発する筋合を持ち合わせる在日外国人が存在することも、関係ない。彼らが今なお日の丸に象徴されるものに抑圧されていることも関係ない。 ――だから、その発想がそもそも糞である。それはわかります。その糞が、日の丸をウンコにすることによって表現されることも。しかし、その表現が許されるのは在日日人だけ――というところで話はループする。出口なし。国家――革命の論理における人々を疎外する国家ではない、共同幻想の延長にある国家は健在であり続ける。 mojimojiさんとは幾度か意見を

    同心円の只中で - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/06/29
    「正業に従事し地域社会に溶け込むことが「特権」の対象にならないなら、それは誰の得にもならない。当然、在日日本人の得にも」
  • 表象と欲望 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.17: 日記 性の問題は聖域ですが、暴力の問題は当然聖域ではないし、蹂躙の肯定もまた聖域ではない、というのが私の認識です。むろん「聖域」とは社会的合意の問題ですが。そのような社会的合意を採らない、という立場はあると考えます。あるいは、そのような社会的合意の欺瞞性について指摘する立場も。だからこそ、性の問題を聖域と考える私は、聖域たらしめるために、暴力や蹂躙の肯定については問題と考えます。聖域とは神聖不可侵ということではない。神聖不可侵と考えることは近代の神話そのものです。 「聖域」だからこそ、私たちはその「秘密」を「告白」することにおいて個人の尊厳を贖ってきた――そうした発想の賞味期限がとっくに切れたのが現在です。そして現在において、私たちは告白さるべき秘密をネタ化し商業化し、結果、暴力的で差別的な欲望がインターネットを媒介として世界に伝播する。そのとき、野放しにされた欲望

    表象と欲望 - 地を這う難破船
  • 社会通念と表現 - 地を這う難破船

    ⇒いくつかの失望と怒り - いまだに落ち着きのない三十路(アラフォー) から、id:T-3donさんのコメント。 差別の受容と文脈に関しては、sk-44@地を這う難破船さんも論じていますね。正直、地下さんの論との差異が何処で生じるのか今一つよく解らない(からブクマコメントできない)んですが、この後明らかになるのではないかと期待を持っています。いまだ回り道の途上である、と私は考えますので。 ごく簡単に言うと。表現、というのは社会通念のコードに対する異議申立としてある。社会通念のコードをそのままなぞってしまうなら、それは表現ではない。表現論的にはそうなります。無自覚になぞってしまうならそれは素人だし、自覚的になぞってみせるならそれはプロの仕事です。プロの仕事とは、商業ということです。そして、そもそも社会通念のコードが(性差別に限らず)差別的であるとき、その差別性を自覚的になぞってみせるプロの

    社会通念と表現 - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/06/11
    「望む対象は、社会であって「ある種のポルノ」ではない」これに尽きる気がする
  • 表象は読み解かれなければならない - 地を這う難破船

    ⇒言論・表現への法規制に抗するために - 地下生活者の手遊び 仰りたいことはわかりました。趣旨には同意です。「まとめ」の部分にはほぼ異論はありません。率直に言って、NaokiTakahashiさんのブログのコメント欄での応酬を拝見した限りは、もっと突っ込んだ議論を展開されるのかと思っていました。 「女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲーム」の表での流通が「人権侵害と認めるところからはじめ」るというのは、相当に強い議論です。DV等を見るまでもなく、児童虐待を見るまでもなく、そして人身売買を見るまでもなく、私的セクターにおいて、あるいは商行為の名のもとに、侵害されている人権の回復には強制力の執行を伴います。その強制力を市民は国家に付託しています。むろん数多の非営利団体が活動していますが、彼らは強制力もまた強制的な執行の権限も持ち合わせません。そうした社会を、私たちは選択しているし、私は「自

    表象は読み解かれなければならない - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/06/03
    「リテラシーの涵養の問題を、構造的な差別の存在において「人権侵害」の結論を導き出すべく解こうとするから「娯楽的な消費」という話になる」
  • 書評『下北沢の獣たち』(空中キャンプ) - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20090504#p1 これから私が話すことは、自由と反抗についての物語であり、同時に、剥奪と服従の物語である。これらの相反する概念について私がひとついえるのは、たいていの人びとは。その中間を生きているということだ。完全な逸脱や、百パーセントの服従が存在しないように、人はある場面ではそれなりに自由であり、別の場面では相応に不自由である。 3篇の短い物語を収めた小説集は、ドストエフスキーの『悪霊』から引いた巻頭言の後に、その宣言をもって開巻する。3篇の一切を貫くアフォリズムを示してみせるのは、宣言に続けて「しかし、私には中間がない。すべてが過剰に満たされているか、まるごと剥奪されているかのどちらかなのだ。」と述べる『アイコ六歳』だ。 「たとえば私の家は千代田区のまんなかにあって、東京でこんな広い家に住んでいる人はどこにもいない。同時

    書評『下北沢の獣たち』(空中キャンプ) - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/05/26
    「もちろん、私は『下北沢の獣たち』という小説を読んで、私の個人的な夢を見たに過ぎない。それが「過ぎない」のではないことを、zoot32さんに改めて示唆されたと、私は勝手に思っているから、この文章を書いた」
  • 入力検索に回答 - 地を這う難破船

    ⇒居間にいる母親が怖くて部屋から出られません。 どうやったら部… - 人力検索はてな ブクマでもまだ出ていないようなので、「大きなお世話」を承知で書くと、「どうやったら部屋から出られるか」家に火を付けることです。「古い集合住宅の2階」とのことなので万難を排してボヤで済ますこと。もちろん、母上が不在のときに。 要するに、母子関係に対して形式的にせよ警察に介入させること。問題を母子関係の内部で処理させないこと――それこそが母上の意図なのだから。職責上やむをえないとはいえ、カウンセラーは「問題を親子関係の内部で処理させること」に一役買っている無能でしかない、ということがある。 だから、衆人環視の中御近所の面前で有村さん自身が引っ張られて最低限拘留され、母上が形式的にせよ事情聴取されるよう仕向けること。「形式的」であろうと、有村さんの記述から推測されるように、母上が世間体を気にする類の人ならこれで

    入力検索に回答 - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/03/30
    「拘留や前科で友だちやめる人は有村さんにはいないだろうし、私にもいなかった」/「親もまたひとりの不出来な人間と知って「だから」親と和解しなければならない、なんて話はありません」との『とらドラ!』感想
  • JAM - 地を這う難破船

    当に文学的想像力があるならば - モジモジ君のブログ。みたいな。 大変丁寧で真摯な応答、ありがとうございます。早速。 文学的想像力について (前略)「自由と自律の剥奪を描くことは、特定の政治的に抑圧された人々を描くことではない」。ええ、そのとおりです。特定の政治的題材を扱うにせよ、フィクションの世界を使うにせよ、なにを題材とするかは、この際、問題ではありません。そして、そこにもたらされるのは、もちろん、自由と自律の剥奪に対する文学的想像力でしょう。ただし。 グローバルに存在するスノッブな文明人は、パレスチナという固有の場所と固有の政治的に抑圧された人々には特段の用ないかもしれないが、個人における自由と自律の剥奪という問題意識には用がある。…… これはチョット待ってくださいよ、と思います。「個人における自由と自律の剥奪という問題意識に用がある」と「パレスチナという固有の場所と固有の政治

    JAM - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/02/06
    全ての言葉は政治的アジテーションであるのに、なぜ(それが可能であるとするならば)文学は可能であるのか、という話と読んだ。
  • 「隠喩としてのガザ」 - 地を這う難破船

    ⇒エルサレムと表現 - 地を這う難破船 承前。mojimojiさんの率直な言葉に、少しレスしたく思います。 ⇒僕はパレスチナに用がある。他にどんな理由がいるんだ? - モジモジ君のブログ。みたいな。 (前略)村上春樹の自由と自律を擁護する人々に聞きたいが、あなた方が擁護する自由と自律は、そこを追われた人々の、そこで押さえつけられる人々の、当たり前の日常を暮らす自由を、踏みつけにしなければ実現できないものなのか。そうでしかありえないのならば、そんな文学など、いらない。 私が「村上春樹の自由と自律を擁護する人々」かはわかりかねますが、もちろん村上春樹の自由と自律は擁護さるべきです。ガザ地区に暮らす人々の自由と自律が擁護さるべきことと同様に。当然のことではないですか。ニッコリ(白い歯を輝かせて)。 ――こういうのを欺瞞の極みと言います。自由と自律を剥奪された人々がパレスチナに存在する。そのことを

  • 「アドバイス」にはたぶんならないけれど。 - 地を這う難破船

    ⇒「毒が回る」ということ - 地を這う難破船 ⇒はてなブックマーク - 「毒が回る」ということ - 地を這う難破船 ブックマークコメントを拝見して読み返した。些か反省した。もっと簡易に説明してみます。(追記。簡易にならなかったようなorz)というのも。 ⇒ブクマコメについて - Apeman’s diary こちらのコメント欄と、 ⇒急募:アドバイス(追記あり) - Apeman’s diary こちらを拝見したので。イスラエルのガザ侵攻については『面倒くさい話なので言及したくない派』の私ですが、少しaksumiさんが言われるところの「争っている」「互い」の落としどころを探ってみます。以下、特に断りなき場合引用はブックマークコメントから。 id:Lhankor_Mhy  政治 つまり、イスラエルがジェノサイドしようとしていたのなら白燐弾は焼夷弾で、そうでないのならば煙幕弾だろう、という論で

    「アドバイス」にはたぶんならないけれど。 - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/01/26
    軍オタが示せるのは、その装備がどのように「敵」に損害を与え、どのように「味方」の損害を減らせるか、までで、何が敵で何が味方でそれは人道とどう釣合っているか判断するのは軍オタも包括される別のレイヤだよな
  • 論題の意図と改変の意味 - 地を這う難破船

    承前。 ⇒悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所 ⇒そんなことよりラブシャッフルしようぜ! - 地を這う難破船 takerunba @y_arim 答えを出して、正しいかどうかを検討する場ではないからセクハラではないよ。絶対的に正しい正答はないという状況下でないとGDは成立しない。価値観が問われるのは確かだが、ビジネスではもっと厳しい選択を迫られるのが常なので、これでハラスメントなら働けないよ。 http://cento.sakura.ne.jp/sb/log/eid313.html ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。 Lord TAKERUNBA on Twitter: "ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。

    論題の意図と改変の意味 - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2009/01/20
    GDの問題を一読したときに、常に媒介としてSEXが想定されていることに気がつけなかったことを反省する。
  • 「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船

    迷ったし柄でもないけれど、書くことにします。ひとつの、むろんきわめて主観的な「証言」として。お断りしておくと、長いです。 ⇒次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 ⇒hirokiazuma.com 私も足を運んでいました。 話には前段があって、私の事情の経緯説明から。 私は東浩紀の10年来の読者で、東工大の授業の速記録についても前年度のそれから、速記者に黙して感謝しつつ目を通していた。とりわけ年度のそれは速記録の時点で滅法面白く、南京大虐殺をめぐる発言が波紋を呼ぶ以前から私はずっと読んでおり、授業に足を運んで直接それを聞きたいと思いつつも、場所時間の都合で多く物理的な事情から無理であったし、もうそういう柄でもないかと勝手に自分を納得させていた。昔は関心ある著述家の大学での授業は、モグリに寛大なこ

    「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船
  • ポストモダン・リヴィジョニズムと虐殺否定論 - 地を這う難破船

    以下、きわめて単純化された整理と厳にお断り。 今更言うまでもなく、リヴィジョニズムとホロコースト否定論は区別さるべきもの。以前も書いたけれど、リヴィジョニズムすなわち歴史修正主義あるいは「歴史の見直し」とは、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立としてこの数十年来繰り広げられてきた知的営為であり、それはヨーロッパに発する近代批判の運動と期を一にしていた。 問題は、そうしたポストモダン・リヴィジョニズムが史学的なメイン・ストリームを超えて史学的立場それ自体を無限に相対化するものとして機能してしまったことにある。むろん、68年以降の近代批判の過程において史学的立場それ自体が相対化されることは悪いことではなかったし、そもそも歴史の必然であったろう、ヘーゲル的に言うなら(笑)。しかし史学的立場それ自体が無限に相対化されたとき、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立はメイン・ストリームを超え

    ポストモダン・リヴィジョニズムと虐殺否定論 - 地を這う難破船
    fuldagap
    fuldagap 2008/12/09
    「ローティ的に言うなら、人は個人としてコミットすることの理由に個人的なフックとフラグをしか求めない、そのことに対して正義を持ち出すことは、端的に他者に対する暴力たりうる」
  • 「これは単なる絵だ。だが、それがいい」 - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):漫画の人気キャラが非処女と判明してヲタ騒然…「単行全部捨てる」と漏らすファンも ⇒はてなブックマーク - 処女信仰と『かんなぎ』祭りについてのまとめ(仮) - 羊肉うまうま@ついったー部 - はてなグループ::ついったー部 ⇒はてなブックマーク - きなこコミック 激しい〈処女信仰〉は、悲しい〈童貞賛美〉の裏返しの叫び ⇒処女厨爆発しろ - やや最果てのブログ 『げんしけん』の春日部咲を処女と言った人を知っている。感銘すると同時に『テヅカ・イズ・デッド』のクリティカルな主張を、私はそのとき理解したのだった。たぶん。 げんしけん(1) (アフタヌーンKC) 作者: 木尾士目出版社/メーカー: 講談社発売日: 2002/12/18メディア: コミック購入: 3人 クリック: 208回この商品を含むブログ (391件) を見る ⇒げんしけん

    fuldagap
    fuldagap 2008/11/12
    「アイドルはうんこしない」はわかるんだけど、それは「うんこしたからお前はアイドルじゃない」「うんこしないからアイドルは生物じゃない」と別な気がする。そして「処女厨」はそれらが渾然一体となっている気が