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2005年6月29日のブックマーク (14件)

  • 『漢字と日本人』(高島俊男著)紹介

    制作者(webmaster) 野嵜健秀(Takehide Nozaki) 初出 「闇黒日記」平成14年5月7日 公開 2002-09-15 改訂 2007-01-07 言葉 言葉 言葉 高島俊男 『漢字と日人』について 平成13年10月20日第1刷發行 文藝春秋 文春新書198 目次 第一章 漢字がやってきた カテーの問題 世界でたったひとつの文字 漢語とはどういう言語か 不器用な日人 第二章 日人は漢字をこう加工した 訓よみとかな 日語の素姓 漢字崇拝という愚 第三章 明治以後 新語の洪水 翻訳語――日中国 顛倒した言語――日語 「歴史」と「進歩」 第四章 国語改革四十年 漢字をやめようという運動 国語改革とは何だったのか 当用漢字の字体 新村出の痛憤 終章 やっかいな重荷 「和語にはなるべく漢字をもちゐぬやうにする」? 高島俊男さんのを立續けに買つてをります。高島さんが

  • 漢字の使い分け - Oblivion? Oblivion!

    誰の日記で読んだのかつまびらかにしないのだけど、和語の漢字による書き分け(取る 採るなど)にはあまり意味はない。日語としてはみな同じ単語なのである、というからの引用があって、それはまあ、たしかにそういう面はあるのだけど、一面的かなと思った。 ただ、日語は、表記先行の、音声言語としての面は文字にひきずられている、そういう言葉でもあるので、ほかの言語なら、時代とともに言葉が表すべき対象が増え、複雑になり、分化したとき、あたらしい言葉を、たとえばtele+phonのように、あるいは現代ではドイツ語やモンゴル語なんかがそういう傾向が著しいように、単語を重ねてあたらしい単語をつくるのに対して、漢字をあてることで対処した、ということがあり、一律に現在で漢字で書き分けることで、和語としてはがんらい同一の言葉だが、別の言葉として通用させているものを、同一視してしまうと、言葉の表現力があきらかに減退し

    漢字の使い分け - Oblivion? Oblivion!
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    漢字の使い分け あえてリンクしない作戦かしら。私の前に書いた(引用した)話についてですよね。 あの節は、漢語(中国語)と和語がどれだけ違う言語かを述べている話の一部分なので、一面的、というのは確かにそうなのだろうと思います。 日語の場合、もともと文字を持たず、中国から大量に輸入された漢字という文字を、それは当は日語に適した文字ではなかったけれど、それ以外に文字というものがなかった、だからそれを使ったのだが、当然、漢語と和語は一対一の対応関係にあるわけではなかったので、いろいろと齟齬が生まれた、という話で、その中で一例としてあげられているのが引用した部分。 ただ、日語は、表記先行の、音声言語としての面は文字にひきずられている、そういう言葉でもあるので という話は、の引用部分ではまだその話まで到達していないので、ちょっと変な感じがしたが、 一律に現在で漢字で書き分けることで、和語とし

    ■ - 寄せては返す館主専用
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    今さらだが、高島俊男の「漢字と日人」を読み直している。3度目なのだが、非常に面白い。 個人的に好きなくだりを引用しようと思う。 「和語に漢字をあてるおろかさ」 P.86〜87 よくわたしにこういう質問の手紙をよこす人がある。――「とる」という語には、「取る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「撮る」などがあるが、どうつかいわければよいか、教えてください。あるいは、「はかる」には、「計る」「図る」「量る」「測る」などがあるが、どうつかいわけるのか教えてください。 わたしはこういう手紙を受けとるたびに、強い不快感をおぼえる。こういう手紙をよこす人に嫌悪を感じる。こういう手紙をよこす人は、かならずおろかな人である。おそらく世の中には、おなじ「とる」でも漢字によって意味がちがうのだから正しくつかいわけねばならない、などと言って、こういう無知な、おろかな人たちをおどかす人間がいるのだろう。そういう連

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  • mybookjapan.com

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  • Mita Information Technology Center, Keio University

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  • 橋本進吉『国語学概論』

    進吉『國語學概論』 〈岩波講座日文学を底としています。〉 目次 第一章 國語學の概念 國語の研究と國語學 實際上の知識と國語學上の知識 國語學と言語學 國語學の性質 フィロロギーと國語學 國學と國語學 參考書 第二章 日語の概念 國語即ち日語 日語と日語以外の言語 日語内の言語の相違 第三章 國語學の諸問題 問題の考察 一、國語の多樣性から 二、言語の構成から 三、言語の二面性から 一般言語學的研究 國語問題及び國語教育の問題 第四章 國語學の資料及び研究法 國語研究資料 言語事實の性質とその取扱法 現代の言語と過去の言語との相違 現代語を取扱ふ場合 辞書と文典 現代の種々の言語の比較 過去の言語を取扱ふ場合 歴史的研究法 比較研究法 一般的研究法 第五章 日の方言 方言の概念 方言區劃 現代國語の方言區劃 琉球諸島の言語 國語の方言の沿革 參考書 第六章 日の標準語

  • 日本語ラップ問題と音節構造[絵文録ことのは]2005/06/29

    最近、「日語はラップに向いていない」という話題が盛り上がっているようなので遅ればせながら。確かに、日語の音節構造はあまりラップ向きではないという印象はわたしも持っている。ただし、それは日語ラップ曲がいいとか悪いとかいうこととはまったく関係しない。ラップというのが、日語と音節構造の違う英語から生まれたのだから、単に当たり前のことを言っているにすぎない。それから、日語ラップはあまり聴かないので、擁護も批判もする気がないことは最初に断っておく。 個人的には、広東語ラップがちょう気持ちいいと思っているのだが、当に広東語というだけでカッコよく聞こえる。つまり、ラップ向きの言葉とそうでない言葉は確かにあると思うのである。もちろん、向いていない言語でラップに挑戦するのは面白いことだと思うが、生まれながらのハンデというものはあるはず。 というわけで今回は軽く、あくまでも言語学的に。 ■関連記事

  • 音韻的ラップの世界ーー改訂版(2006年7月)

    音韻的ラップの世界ーー改訂版(2006年7月) はじめに この「音韻論的ラップの世界」は、「ラップという音楽を、とことん学問的に追求してったらどうなるだろうか?」という、私のまったくをもって個人的な興味から出発しました。長い(?)研究の末、それなりに成果がでましたので、それを論文にまとめるとともに、言語学を全く知らない人でも分かるように、という願いを込めて、この「音韻論的ラップの世界」は発足しました。幸い、それなりの反響を頂きまして、周りからずいぶん励ましのお言葉頂きました。全然知らない人たちからも応援してもらったのは凄く嬉しかったです。とくに論文提出直前には励みになりました。 さて、このサイトの内容を学術的にまとめたものを、とある学術雑誌に送っていたのですが、この間、快い返事を頂きました。これで証明されたといえるでしょう:「ラップの研究は言語学的に価値のあるものである」。というわけで