サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは本日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
ウィトゲンシュタインの概念。 「アウグスティヌス」的な在来の言語観を批判して提出された、あらかじめ設定されたルールを前提にするわけではないが、実際の会話の中で更新され生成されるルールセットからなるものとして、ゲームの類比でとらえられた言語観。言語の記号的、表象代理的側面ではなく、機能的側面をより基本的なものと見る。 「すなわち、年長者たちが或るものの名を呼び、その音声に従って、身体を或るものの方へ動かしたとき、私は、そのものを私に示そうと思う際には、彼らはその発する音声によってそのものを呼ぶということを見て、覚えた。彼らがそのものを私に示そうとすることは、いわば万民共通の自然の言語によって明らかであった。そしてこの言語は、顔つき、目つき、その他四肢の動き、音声の響きからできていて、もの求め、手に入れ、斥け避けようとする心の動きを示すものである。このように、いろいろな言葉がさまざまな文句のう
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
最近、感じてる事。 まずニュースでは悲しい事件が多い。 人生が上手くいかない事への腹いせとして、他人を殺(あや)めて、すっきりしようとするのは、止めて頂きたい。 暴れて法を犯して、「自分は一般人には出来ない事をした、ヒーローなんだ」と加害者が思った所で、他人はそう思ってないですよ。 たとえば「つまようじ少年」なんて、あだ名を付けられるなんて、恰好悪いだけです。 苦しい事、辛い事があるなら、なぜ、助けてと言わない。 ネットに匿名で強がりを書き込むくらいなら、一言、 「人生上手くいかない。友達も居ないし寂しい」ってなぜ素直に書かない。 親や周囲の人に対しても、下らんプライドを捨てて、自分の弱さを素直に見せた方が、まだ救われる可能性がある。 それは勇気がいる事ですが。 自分で自分の問題点に気付く所から、まず始めるべきだと思う。 失敗する事や心が傷つく事を恐れて、何もしてこなかった事が、劣等感や絶
合宿の話が出たところで今回は少し脱線して柔らかいゲームの話題に触れたいと思います。(そろそろお盆休みですしね) 僕は「大富豪」というゲームが好きで、合宿に行くとよくこれで遊びます。大富豪(大貧民)はご存知の方が多いと思いますがカードゲームの名前です。持ち札を順番に切っていって、最初にカードがなくなった人が勝つというルールです。買った順番に「大富豪」「富豪」「平民」「貧民」「大貧民」といった名前で呼ばれ、「大富豪」は常に勝ち続けないといけません。勝ち続けることができなければ「都落ち」して大貧民に転落してしまいます。貧民は富豪に対して一番強いカードを年貢のように納めなければなりません。ゲームの途中で「革命」が起こることがあり、カードの価値が逆転してしまったりします。 少し前にとある高校で「起業家として授業をして欲しい」と頼まれたことがあり、どんな授業をしたものかと考えた挙句に、生徒に5人ずつグ
要約 このあたりでコミュニティの質の低下について論じた。乱暴に要約すれば「全体が見えないと見られることを意識しなくなり、モラルが低下する」というようなことだが、投げ銭ポイントはそれを防止するに有効なのではないか。 文章記録コミュニケーションの性質 Webのコミュニティは文章記録によって機能する。文字以外のものを要に結合するコミュニティは存在し得るが、コミュニケーションの手段はやはり文字によるものとなろう。 将来的には、音によるコミュニケーションだって成立するかもしれない。しかし少なくとも現状では、リアルタイムでの対話か全く一方的な発話しか成立し得ない音声コミュニケーションは有効に機能しない。Webに於いては、非リアルタイムでありながら対話可能な文章記録に勝るものはないのだ。 記録されるが故に、コミュニケーションの対象は非限定的である。無論、コメント欄に於けるやり取りなどでは対話の対象は限定
山本キッドの喋り、やばいのかやばくないのか。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050806 ところでキッドのキッド言葉は「あいつ、ヤバいっすよ」「ハワイ、いいとこっすね」という風に、要は「てにをは」を抜いているんだよね。 これは頭悪く聞こえるリスクもあるが、それより、そもそもこれを抜いても意味が通じるというという日本語に対し、よく考えればちょっと驚く。 昔、文部省が人工的に簡略的な日本語をつくろうとして失敗したことがあったが、たとえば最低限の日本語を学ぶ、覚える、使うとしたらこの「てにをは」を敢えて覚えない、使わないってのもありですかね? どうなんですかid:tinuyama さん。 と、突然話題を振られて驚いてをります(汗)。 自分の日本語のクラスでは「会話では、ガ、ヲ、着点を表すニ(ヘ)は、助詞を省略してもいい」と一応教へてゐます。それから、「主題のハ」も
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く