愛ルケ、と言うんである。愛の流刑地。このカジュアルな略称は、重々しく通俗的なタイトルの気恥ずかしさを軽やかに中和する効用がある。いずれにしても軽薄な感じがすることに違いはないけれども。山田風太郎の「流刑地の猫」ならルケ猫か。 人名を、たとえばエノケンとか伴淳とか勝新とかと略すことはむかしからよくあるけれど、小説や映画のタイトルなどをこういうふうに略称で呼ぶことはあまりない。小津の『風の中の牝鶏』を風メンだとか黒澤の『デルス・ウザーラ 』をデルウザだとか呼んだりはしない(と思う)。 愛ルケなどは略してもあまり言葉の節約にならないけれども、タイトルが長いため仕方なく略す場合もあって、『マルキ・ド・サドの演出のもとに シャラントン精神病院患者によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』は「サド・マラー」ではなく通常「マラー/サド」と表記される。『博士の異常な愛情 または私は如何にして心