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ブックマーク / qfwfq.hatenablog.com (98)

  • 詩を書く前には靴を磨くね――岩波文庫版『辻征夫詩集』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    今月、岩波文庫の新刊で出た『辻征夫詩集』を買う。思潮社現代詩文庫版(正・続・続続)も全詩集の『辻征夫詩集成(新版)』も持っているのだけれど、「岩波文庫に1票」というつもりで購入する*1。 わたしのつくるはたいがい票の集まらないばかりだが、3000部も出ればもって瞑すべしと思っている(儲からなくて会社には迷惑をかけているけれども。しかし、大西巨人が書いたように、わたしとして3万部、300万部、3000万部売れることを願ってはいるのである)。 それはさておき。 『辻征夫詩集』を買ってぱらぱらとページをめくって拾い読みし、なんというか、春の兆しを感じはじめたちょうど今頃の季節――庄司薫が『白鳥の歌なんか聞えない』で「金魚鉢の金魚が勢いよく泳ぎだしたんだよ」と書いたような、あるいは、目にはさやかに見えねども日差しのぬくみにおどろかれぬるといったような――に心がちょっとほどけてゆくような気分を味

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  • さようなら、柳澤愼一さん - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    三谷幸喜が朝日新聞の連載コラム「ありふれた生活」(7月20日夕刊)で、彼が監督した『ザ・マジックアワー』が、昨年、中国でリメイクされて大ヒットしたと書いていた。日円にして530億以上の興収で、これは中国映画全体の年間第3位の興収だという。日では約40億円だったというから10数倍になる。ま、桁が違いますからね、人民の。中国版『ザ・マジックアワー』は『トゥ・クール・トゥ・キル――殺せない殺し屋』というタイトルでこのたび日でも公開(7月8日~)されたというから、機会があれば見比べてみたいと思う。 この映画『ザ・マジックアワー』に、往年の映画スター役で出演した柳澤愼一さんが亡くなられた。先月28日、去年の3月24日に亡くなったと日歌手協会から発表された。死因は「骨髄異形成症候群」だという。死後15ヶ月経ってからの発表は、おそらく御人の遺志なのだろう。柳澤さんらしい、と思う(血液のがんなの

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  • 植草甚一ふうにいうと……――村上春樹・柴田元幸「帰れ、あの翻訳」についてのあれこれ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    植草甚一ふうにいうと、「MONKEY」最新号の村上春樹・柴田元幸の対談を読んで、村上春樹はホントにアメリカ小説をよく読んでいるなあと唸ってしまった。この対談は特集の「古典復活」にちなんで、絶版や品切れになっている英米の小説について二人が語り合ったものだ。古典復活といってもここに出てくるのはいわゆるクラシックな小説ではなく、30〜40年ぐらい前にふつうに読むことのできた翻訳小説がほとんどで、だから対談のタイトルも「帰れ、あの翻訳」となっている。村上さんはわたしより2歳年上、柴田さんは3歳年下、したがってわたしはお二人のちょうど真ん中あたりの世代になるのだけれど、読書体験としてはほぼ同世代といっていいだろう。お二人が選んだ〈復刊してほしい翻訳小説〉50冊、それぞれの書影が出ていて――相当に年季の入ったくたびれたなのでおそらく蔵書を撮影したものだろう――いずれも8割方はわたしの蔵書と重なって

    植草甚一ふうにいうと……――村上春樹・柴田元幸「帰れ、あの翻訳」についてのあれこれ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 「群像」10月号を読んでみる(てか、目次をつらつら眺めてみる) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    「群像」という雑誌があります。このブログをたまにご覧になるような方なら当然御存知でしょうが、あの「群像」です、文芸誌の。 ふつう、日常会話のなかでグンゾーといっても通じません。「グンゾー?」と訝しげに訊かれて「いや、あの、ほらノーベルショーを取るとか取らないとか噂になってる小説家の村上春樹がシンジンショーを取った雑誌の…」とかなんとかゴニョゴニョいって問題を複雑にするのがおちです。今月号の「群像」に出ていたナントカの小説が、とかいって通じるのはきわめて狭い世界のはなしです。ま、それはともかく。 最近、といっても、いつごろからか定かではないけれども、「群像」が分厚くなりました(どうやらリニューアル以降らしい)。手元にある10月号(今年の)なんてほぼ600頁ある。1頁に400字・約3枚入るとして、1冊1800枚! ゆうに単行3冊分はあります。ちなみに文芸誌御三家の「新潮」10月号が約430頁

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  • 奇才須永朝彦の二著 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ユリイカ臨時増刊号『総特集 須永朝彦 1946-2021』が刊行された。今年5月に長逝した歌人・作家須永朝彦の全300頁余を費やしての追悼号である。須永朝彦の名を知る読者がどれほどいるのかわからないが、超の名がつくマイナーポエットには違いないだろう。ほぼ同時に山尾悠子編で『須永朝彦小説選』(ちくま文庫)も出た。山尾悠子が「ユリイカ」で書いているように「生前元気なうちに実現していれば」須永がどんなに喜んだろうと思うが詮方ない。晩年なにかと逼迫していたと聞くだけになおさらそう思う。二冊ともに江湖の喝采を博すことを冀う。 寄稿している方々の多くが須永朝彦をいつ見知ったかと筆を起しているので、わたしもそうしよう。わたしが須永朝彦と出会ったのは、三一書房刊の『現代短歌大系』の第11巻「現代新鋭集」、もしくは「季刊俳句」創刊号のなかでだったと思う。いずれも1973年の刊行。「季刊俳句」創刊号には連載小

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  • 百句繚乱 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    『百句燦燦』は、塚邦雄が精選した、というよりも鍾愛する現代俳句百句を掲出し、鑑賞文を附した詞華集で、その講談社文芸文庫版の解説を橋治はこう書き出している。 「私が書店の棚にある『百句燦燦』を見たのは、二十六歳の秋だった。」 二十六歳といえば一九七四年、「桃尻娘」で小説現代新人賞を受賞(佳作)する三年前のことだ。橋治にとって、塚邦雄は「畏敬」する存在であったが、「現代俳句への関心もなかったし、知識もなかった」ので買うのををためらった(高価でしたからね。当時の三千六百円の定価は、今ならだいたい一万円ぐらいの感じだろうか)。だが、「ここにはなにか、自分の分かりたいものがある」と思い購入した。 巻頭の一句、石田波郷の「金雀枝や基督に抱かると思へ」には「いかにも塚邦雄好みだな」と思ったが、第二句目の下村槐太「河べりに自転車の空北斎忌」にはびっくりした。文字の並びが、そのまま「絵」になって見

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  • 戦争のくれた字引き――黒川創『鶴見俊輔伝』を読む - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    黒川創『鶴見俊輔伝』を読んで、つよく印象づけられたことについて記しておきたい。来なら鶴見自身の著作に直接あたりなおして書くべきだが、いまその用意がない。暫定的な心覚えとして書いておきたい。 鶴見俊輔は戦後10年ほど経ったころ、「戦争のくれた字引き」という文章を発表する(「文藝」1956年8月号)。それは戦時中にジャカルタで起こった捕虜殺害にふれた文章で、鶴見自身は「小説」と称していたという。鶴見は「戦時下に自分が経験してきた事実と、それをめぐる思索」を「敵の国」「滝壺近く」というふたつの手記に記したが、晩年に自ら廃棄するまで手元に置いて発表しなかった。この手記をもとにして書かれたのが「戦争のくれた字引き」だという。 鶴見は通訳担当の海軍軍属だった。ジャカルタで捕虜のひとりが伝染病に罹る。捕虜は敵国ではなく中立国のインド人だったが、捕虜にあたえる薬などないと鶴見の隣室にいた同僚に捕虜殺害の

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  • ちょっと待ってくれ、僕は小津のことを話してるんだ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    白洲正子についてはよく知らない。随筆集を何冊か文庫で読んだだけだ。いずれ腰を据えてじっくり読んでみたいと思っていたが、いずれなどと悠長なことを言っていられる時間の余裕はなくなってしまった。小林秀雄や青山二郎らとの交遊についての随筆はそれなりにおもしろく読んだけれども、白洲正子の「真髄」にはまだ触れていないという思いだけがいまも残っている。 白洲正子が亡くなったのは1998年12月26日。昨年は没後20周年にあたり、12月20日と21日の二夜にわたって「白洲正子が愛した日」という番組がNHKBSプレミアムで放送された。2006年に放送されたものの再放送で、元気なころの車谷長吉や、中畑貴志、水原紫苑ら、白洲正子と交遊のあったゲストたちが白洲正子について語り合ったのだが、なかでも興をおぼえたのは「型」をめぐる対話だった。 近江の葛川明王院で太鼓回しという伝統行事が営まれるが、白洲正子はこの行

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  • 戦争は懐かしい――玉居子精宏『戦争小説家 古山高麗雄伝』を読む - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    戦後70年といわれて、いまの若い人はどのような感想をもつのだろうか。二十歳の若者にとって、昭和20年は生れる50年前になる。わたしは昭和26年、1951年の生れだから50年前といえば1901年。日露戦争の始まる3年前になる。ロシアは革命の前、帝政時代である。いまの若者にとって日の敗戦とは、そういう遠い遠い歴史上の出来事なのだろう。 わたしの幼少期にはまだ戦争のにおいがそこかしこに漂っていた。学校へ戦争絵葉書を持ってくる子供がいた。町では白衣を着た傷痍軍人がアコーディオンを弾いて物乞いをしていた。そうした戦争のにおいはやがて急速に薄れていった。 一兵卒として体験した戦争を生涯書き続けた小説家古山高麗雄がこういう言葉を残している。 「もちろん、戦争は懐かしい。当然である。戦争経験は、私の過去の中の重いものであって、楽しくない追憶が多いが、自分の過去の重いものが、懐かしくないわけがない。」 古

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  • 「方言」を訳すのはむつかしい - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    さて、ロレンスについてもう少し書いてみよう。 『チャタレー夫人の恋人』が光文社古典新訳文庫から出た。訳者は木村政則。ところどころ拾い読みをした限りでは、読みやすい、よい訳だと思う。ただし、原文に忠実に、正確に訳されたものではない。訳者はあとがきで、「翻訳するにあたっては、従来のロレンス像や作品評は気にせず、自分の印象に従おうと決めた」と書いている。「つまり、速くて荒い文章で書かれた恋愛小説として訳す。ただ、ここで問題が生じる。荒い文章を速いリズムに乗せていくと、肝心の物語がぼやけてしまうのだ。ここが翻訳の分かれ道だろう。私は物語のほうを重視した」。原文の息づかいよりも物語の面白さを伝えたいということだろう。その是非は読者の好みにゆだねられるといっていい。 『チャタレー』の翻訳といえば、何はともあれ伊藤整である。周知のように、伊藤整による完訳版は裁判の末、猥褻文書とされ、ホットパーツ(性描写

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  • 黄金の釘一つ打つ――『岩本素白 人と作品』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    以前ここで来嶋靖生さんの評伝『岩素白』が河出書房新社より刊行されると書いた*1。それは予定どおり無事刊行され、大方の好評を博したようである。微力ながら同書の編集に関わったものとして欣懐を禁じ得ない。「槻の木」八月号に掲載された小文を以下に再録する。 黄金の釘一つ打つ 以下に記すのは書評ではない。『岩素白 人と作品』の制作に忝くも関与せさせられた者として、ふつつかな感想を述べるにすぎない。 素白が「槻の木」に初めて書いた文章「早春」、四百字三枚強・全文が書に引用せられている。以下に「早春」のあらましを記す。 素白は、書き物か読書かに倦んで、縁側でなにともなく老梅を眺めている。ふと、先に近所であった失火と、そのさいに詠んだ句「昼火事をうしろに白し梅の花」を思い出し、堪らなく嫌な気持になる。 「それは此の句が月並を通り越して、嫌みをさへ有つてゐる為ばかりでは無い。もう毛の擦り切れた安価な古

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  • この遠い道程のため――承前 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』について、もう一つだけ書いておきたい。前回の最後に引用した片岡義男のことば、「書き手が言葉を選んでつないでいくことが文章の前進力になる」ということに関連して、片岡さんは一つの例を提示している。それは、金子光晴の「富士」という詩の、アーサー・ビナードさんによる英訳(『日の名詩、英語でおどる』みすず書房、2007年)である。 「日語の作品を英訳する場合、ある作品を日語で読み、その内容を摑んだうえで、それが形而上的な内容なら、内容に忠実に英語でリライトしなければいけない。英語の言葉の倫理に、日語で書かれている内容を、取り込まなくてはいけないのです」と片岡さんはいう。「倫理」は「論理」の誤りだろう。「そのたいそう良く出来た例として」、片岡さんは、「富士」の最終スタンザのみ、原詩と訳詩を挙げている。以下のとおり。 雨はやんでゐる。 息子のゐないうつろな空に な

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  • チャンドラーを訳すのはやっかいだ――片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』を読む - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    片岡義男・鴻巣友季子『翻訳問答』を読んだ。これは、オースティン、チャンドラー、サリンジャー等々著名な七人の小説家の代表的な作品の一部分を、お二人がそれぞれ日語に翻訳し、それらについて語り合う、という刺戟的な試みである。当然、既訳も複数ある作品ばかりで、それらも俎上に上がることになる。 まずはオースティンの『高慢と偏見』、冒頭の有名な一節。 It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune, must be in want of a wife. この ” truth” をどう訳すか。既訳五種類*1は、いずれも「真理」「真実」といった訳語を当てているけれども、それが「真理」であるならことさらにuniversally acknowledged(あまねく認められている

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  • 犬と狼のあいだに――翻訳について - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ――夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。 小説の冒頭といえばすぐに思い出すのが『幻の女』だ。名文句の定番といってもいいだろう。原文は以下のとおり。 The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour. 「恋人よ我に帰れ」Lover, Come Back To Meの、 The sky was blue, and high above. The moon was new, and so was love. をもじったものであることはよく知られている*1。 現在、流通しているハヤカワ文庫『幻の女』では、訳文に若干手が入って、 「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」 となっている。 稲葉明雄の名訳。かつてのポケミス版『幻の女』は黒沼

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  • 物の見えたる――素白雑感 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    昨年暮れから正月にかけて故あってずっと岩素白の随筆に親しんでいた。年明けには新たなアンソロジー『素湯のような話』もちくま文庫から出た。 早川茉莉編になる『素湯のような話』は総頁数440に及ぶ文庫にしては大冊で、『東海道品川宿』(ウェッジ文庫)のおよそ倍の分量である。あれも入れたいこれも入れようとするうちに頁数が増えてしまったのではないかと想像した。テーマ別編集というのか、素白雑貨、素白好み、読我書屋、孤杖飄然…といった表題のついた七章に、単行未収録の小説「消えた火」が附載されている。 「素湯のような話」は「南駅余情」の序として歌誌「槻の木」に掲載され、その後「南駅余情」は断続的に連載された(4回、中に「板橋夜話」1、2を含む)。『東海道品川宿』ではその全5回分がまとめて収録されているが、『素湯のような話』では序章および1と3とが別々の章に振り分けられている。 『素湯のような話』には先行

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  • これは詩ではない――渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』を読む - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    著者は書の第1章に、ある詩との「衝撃的」な出会いについて書いている。「まったく意味がわからなくて、でも鋭く光っていて、密度があった」。その詩とは――。 25 世界の中で私が身動きする=230 26 ひとが私に向かつて歩いてくる=232 27 地球は火の子供で身重だ=234 28 眠ろうとすると=236 29 私は思い出をひき写している=238 30 私は言葉を休ませない=240 31 世界の中の用意された椅子に坐ると=242 32 時折時間がたゆたいの演技をする=244 33 私は近づこうとした=246 34 風のおかげで樹も動く喜びを知つている=248 35 街から帰つてくると=250 36 私があまりに光をみつめたので=252 37 私は私の中へ帰つてゆく=254 38 私が生きたら=256 39 雲はあふれて自分を捨てる=258 40 遠さのたどり着く所を空想していると=260 こ

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  • 母語と英語とのあいだで――岩城けい『さようなら、オレンジ』を読む - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    もう五年ほど前のことになるけれども、若い小説家たちの小説について欄でふれたことがあった*1。文芸誌でかれらの新作が妍を競っていたのだが、どれもが一様に「発情」しているさまに聊かうんざりさせられた。性を主題にすることが悪いわけではないけれども、たとえば、かれらの小説のとなりにみうらじゅんの「人生エロエロ」*2をおいてみれば、性にとらわれた人間を対象化する視線において、みうらのコラムのほうが数段すぐれているように思った。 それはさておき、近頃の新人たちも同じようなのだろうかと思っていたところ、いかにも新人らしいというかあるいは新人らしからぬ小説に出会った。各紙誌の書評などで評判の岩城けい『さようなら、オレンジ』である。 概要は、たとえば朝日新聞掲載の小野正嗣の書評*3などを参照していただくことにして、ここでくだくだしくは述べない。小野が「書は2つの物語からなる」と書く二つの物語はじつはひと

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  • 老人の顔にきざまれた皺のように――内堀弘『古本の時間』を読む - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    『石神井書林日録』から十余年、内堀弘さんのエッセイ・コラム集『古の時間』が出た。カバーには平野甲賀さんの書き文字のタイトルと犀のロゴマーク。かつての晶文社らしい新刊だ。 『石神井書林日録』については、かつてbk1というサイトに書評を書いたことがある。bk1はすでになく、いまは〈hontoネットストア〉というところに引き継がれて書評もそこに掲載されているが、以下に掲げておこう。 ***** いやあ、面白い面白い。この新刊ブックレビューでは「面白い」というコトバをなるべく使わないで面白さが伝わるように書くことを心掛けているのだけれど、今回は降参。だって面白いんだもん。ほとんど初めて名前を聞く人たちばっかり出てくるがどうしてこんなに面白いんだろう。不思議だ。 書は、目録で商いをする近代詩歌専門の古屋さん<石神井書林>の店主の日記で、明治から昭和初期あたりの、あまり人に知られない詩人や作家

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  • 悔い改めよ、ハーレクィン!――山城むつみ『連続する問題』を読む(その2) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    今回は前回につづいて「改行の可・不可」の提起する問題についてもうすこし書くつもりだったが、そのまえにどうしても書いておきたいことがあり、「緊急順不同」(中野重治)で急ぎしるしておく。これも『連続する問題』に触発された思考の一つである。 最近、新聞紙面をにぎわせている橋下徹大阪市長の一連の発言についてである。5月27日(月)に行われた日外国特派員協会での記者会見での発言が、現時点における最新情報である(引用は5月28日付「朝日新聞」朝刊に基づく)。 ひとつは、慰安婦をめぐる発言について。 橋下氏は「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命をかけて走っていくときに、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのは誰だって分かる」(5月13日)と語ったことにかんして、「『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私自身が』必要と考える、『私が』

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  • 1938年の小林秀雄――山城むつみの連続する問題 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    図書館で月遅れの雑誌を借りる。「新潮」4月号。〈没後30年特集 2013年の小林秀雄〉のなかの一篇、山城むつみの「蘇州の空白から――小林秀雄の『戦後』」(長篇論考180枚)を読む。これも前回の「連続する問題」につらなっている。 「いつか時間を作って、小林秀雄の従軍記事を熟読したいと思っている」と山城は冒頭にしるしている。思っているのは、この長篇論考180枚を書き上げる前なのかそれとも後なのか。「思っていた」と過去形で書かれていれば、熟読した結果この長篇論考180枚が書かれた、ということを示唆するのだが、この時点での山城の立ち位置ははっきりとしない。つづけて、「むかし通して読んだが、こちらの無知のせいもあって(略)どの従軍記事も今ひとつ胸に届いて来なかった」と書く。ならば、このたび熟読して、なにかしら腑に落ちるところがあったということなのか、と考えつつ読み進める。 小林秀雄は従軍報告の一篇「

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