古墳時代後期(6世紀ごろ)に奈良や大阪など畿内に築かれた大規模古墳の「横穴式石室」の築造方法は、ほぼ同時期に域内の中小古墳にも採用されていたことが10日、大阪府河内長野市教委の太田宏明学芸員(37)の研究で分かった。ときの王権の中心地に集められた人々が、情報交換をしながら“石室のトレンド”を、域内各地でいち早く取り入れたと推測。石室の構造変化から、王権の強大な支配が伺える興味深い研究成果といえそうだ。 太田さんは、近畿や中国、北九州など全国の横穴式石室約500基を調査したところ、畿内では棺を安置する主室の入り口の脇部分「袖(そで)部(ぶ)」がわずか10〜20年の間に変遷し、技術の変化が、ほぼ同時期に大王級だけでなく、地域の有力者の中小の古墳にまで普及していたことを突き止めた。 畿内では当初、入り口の左右いずれかに中小の石を平積みしていた袖部の石材が大型化し、左右双方に袖部が置かれるようにな