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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (57)

  • フロイトのドストエフスキー論 - heuristic ways

    フロイトがドストエフスキー論を書いているのは知っていたが、今回初めて読んだ。図書館で中山元訳の『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』(光文社古典新訳文庫)を見かけたので、借りてみたのである。「ドストエフスキーと父親殺し」は一九二八年、フロイト(1856−1939)が七二歳のときに書かれている。年譜を見ると、一九二七年には『幻想の未来』、三〇年には『文化への不満』を刊行しており、後期フロイトが精神分析の理論を宗教や文明批判、政治理論などにも応用していた時期に当たることがわかる。  フロイトはドストエフスキーを「詩人」としてはきわめて高く評価しながらも*1、「道徳家」や「罪人」としては手厳しく批判し、結局のところ、「神経症患者」として精神分析の対象としている。 私が興味深いと思ったのは、ドストエフスキーの「道徳家という<顔>」を批判しているところで、フロイトは、「道徳性の高い人物というも

  • 『チェルノブイリは女たちを変えた』より - heuristic ways

    数日前のニュースで、福島市の住民たちが地元医師を招いて開催した講演会で、内部被曝をめぐる質問が相次いだという報道があった(「内部被曝の不安拡大、独自検査決めた自治体も 福島」 朝日新聞、2011/6/18)「私、あの爆発の後、子どもを散歩させたんです。道の草触らせちゃった。内部被曝したんでしょうか」「個人で専門的な病院にかかるしかないのでしょうか。私の不用意で将来子どもががんになったら、当に申し訳ない」  昨日図書館で『チェルノブイリは女たちを変えた』(社会思想社、1989年)というを見つけた。 これは、ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)を受けて、西ドイツの女性たち(15人)が同年8月に刊行した原書から11人の文章を翻訳し、これに西ドイツ在住のフリーライター山知佳子氏の「三年後のプロローグ」を加えて出版したものとのこと(出版社紹介に高木仁三郎氏も協力したらしい)。 

  • 渡辺京二『日本近世の起源』 - heuristic ways

    渡辺京二氏の名は、(未読だが)名著といわれる『逝きし世の面影』(1998年)の著者として、しばらく前から気になっていた。最近書店に行くと、新書のコーナーに「渡辺京二傑作選」として、『日近世の起源』『神風連とその時代』『なぜいま人類史か』(洋泉社、新書y)という3点が並んでいる。氏の『黒船前夜』(2010年)が大佛次郎賞を受賞したことを記念しての刊行とのことである。 とりあえず『日近世の起源――戦国乱世から徳川の平和(パックス・トクガワーナ)へ』を買って読み始めてみたら、これがかなりショッキングなで、ぐいぐい引きずり込まれていった。私は日の中世や近世のことをよく知らなかったが、それでもある種の先入観というかイメージの刷り込みみたいなものがあったのかもしれない。「自由都市」堺とか*1、信長による一向一揆の弾圧とか*2。渡辺氏によると、それは「戦後左翼史学」が近代的な「自由」の観念を過去

  • 和田春樹『日本と朝鮮の一〇〇年史』 - heuristic ways

    先日、書店の新刊コーナーで、和田春樹『日と朝鮮の一〇〇年史』(平凡社新書、2010年)というを見つけ、目次を見ると「三・一独立宣言」のことも書いているようなので購入し、早速読んでみた。 和田春樹氏のは、以前、『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(1998年)を図書館で借りて読んだことがある。他にも『朝鮮戦争全史』や『日露戦争』上・下などの著書があり、いずれ読んでみたいと思う。和田氏はもともとロシア史の専門家だったが、一九七〇年代の半ばから「韓国の民主化運動と連帯する市民運動家として」韓国語を独習し、自分が読みたい論文を翻訳したりを編集するようになり、八〇年代以降、北朝鮮のことを研究するようになったとのことである。 書の目次は以下の通り。近代以降の日と朝鮮(韓国)の関係の大まかな流れがわかるだけでなく、われわれが見落としがちな盲点、あるいは、見ようとすらしてこなかった「他者の経験」に光

  • 与謝野晶子とカント - heuristic ways

    与謝野晶子(1878−1942)は、45歳のときに関東大震災(1923年)を経験している。 山藤枝『黄金(こがね)の釘を打ったひと――歌人・与謝野晶子の生涯』によると、大地震のとき、西村伊作が与謝野鉄幹・晶子らと協力して設立した文化学院が焼け、文化学院の門の側の西村建築事務所に預けておいた晶子の『源氏』の原稿一万枚も焼失した。幸い与謝野家は焼けず、大ぜいの家族も無事だったという。 もともと与謝野晶子が『源氏物語』の現代語訳にとりかかったのは1909(明治42)年からで、1912(明治45)年から1913(大正2)年にかけて、森鴎外(他に上田敏)の序文のついた『新訳源氏物語』全三巻が出ていた。Wikipediaの「与謝野晶子」によると、これは「欠陥が多い」ものだったので、「一からやり直し」、完成まで残りわずかとなったところで、原稿が灰になってしまったのである。しかし、晶子は「またも一からや

  • 歴史的想像力の問題 - heuristic ways

    先日、池東旭(チ・トンウク)氏の『コリアン・ジャパニーズ』(2002年)を読んでいたら、第三章「歴史から見た在日」の中に、こういう一節があって、ちょっと吃驚した。 …桓武天皇の子孫から、平氏の祖・桓武平氏が出る。一方、その六代後の清和天皇の後裔から源氏の祖・清和源氏が出てくる。この平氏、源氏は双方とも東国に下向し、関東地方に住んでいた渡来人系集団を糾合して武士団をつくり、その棟梁になった。 このとき平氏になったのが百済系で、源氏になったのが新羅系とみられる。そうだとすると、中世日の源平合戦は、朝鮮半島でかつて演じられた新羅、百済の覇権争奪の延長と言えなくもない。後世源氏と平氏は武士の二大集団となる。源氏から政権を奪った北条氏は平氏を称し、それを打倒した新田、足利は、源氏の出自であることを大義名分にした。織田は平氏を、豊臣は藤原を、そして徳川は源氏を名乗った。日の歴代合戦は、朝鮮半島の権

  • 山城むつみ氏の「訓読」論 - heuristic ways

    山城むつみ氏の『文学のプログラム』(原著1995年)が講談社文芸文庫から出ていた。これには4つの批評文が収められている。「小林批評のクリティカル・ポイント」「戦争について」「万葉集の「精神」について」「文学のプログラム」の4つで、最初の3つはそれぞれ小林秀雄、坂口安吾、保田與重郎について主に論じている。私もこれらの文学者たちにはそれなりに関心をもってきたが、山城氏の誠実で深い読みが、失礼ながら、「文学的」なジャーゴンのように思えてくるところがあった。それよりも私が衝撃を受けたのは、日語における「訓読のプログラム」の創出について論じた「文学のプログラム」だった。あるいは、「万葉集の「精神」について」で論じられている『万葉集』の原文とその「訓み下し」の問題に、私は刺激を受けた。 「万葉集の「精神」について」で、山城氏は、「『万葉集』が漢字のみで書かれているということ」をわれわれはつい忘れがち

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/12/09
    訓読の話だつたとは。
  • 李鴻章と勝海舟のことなど - heuristic ways

    以前ブックオフで買ったままになっていた片野次郎『李朝滅亡』(新潮文庫、1997年、原著1994年)を読んでいたら、李鴻章について、こんなことが書かれていて、ちょっと吃驚した。 李鴻章は、ロシアの南下をなによりも怖れた。それを牽制するには、清国と朝鮮、日の三国が連合しなければならない。李鴻章の腹中には、この三国連合の考えが、盤石のごとくすわっていた。だから日と事を起こす考えはなかった。(第二章「李王朝の内紛」〜「外交という名の戦い――天津条約」)  清国と朝鮮、日の三国連合といえば思い出すのは勝海舟のことだが、李鴻章が同じような構想をもっていたとは知らなかった。ただし、年代や情勢の違いは考慮しなければならないだろう。海舟がそういう構想をもって神戸の海軍操練所を開いたのは1864年で、これは翌年には廃止されている。一方、上の引用は、朝鮮での甲申政変〔カプシンチョンビョン、1884年〕後の

  • 『海神(ヘシン)』をめぐって - heuristic ways

  • 岡田英弘『日本史の誕生』 - heuristic ways

    先日、韓国ドラマ『薯童謠(ソドンヨ)』をDVDで見ていたら、百済の大学舎の人々*1が内紛から逃れようとして、とりあえず天竺の商人のもとを訪ねるというくだりがあって、ちょっと吃驚した(第3話)。天竺の商人はターバンを巻いているので、インド人という設定なんでしょう。他にもこのドラマでは、隋の商人から逃げてきた奴隷が出てきたりして、天竺や隋を同時代感覚で捉える発想・設定はすごいと唸ってしまった。「倭国」という言葉も出てくる。 特に何の予備知識もなくこのドラマを見始めたのだが、「韓国歴史ドラマと現代ドラマ」というサイトによると、これは百済の威徳王(在位:544−598年)の治世で、6世紀末という時代設定の話らしい。隋(581−618年)の建国まもない頃、朝鮮半島では、高句麗・百済・新羅の三国が鼎立していた三国時代ということになる。*2  しばらく前に岡田英弘氏の『日史の誕生』*3がちくま文庫か

  • heuristic ways - 伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー』

    著者の伊東乾氏は、地下鉄サリン事件の実行犯の一人・豊田亨と大学時代(東大理学部物理学科)の同級生だったという。氏は、拘置所内の豊田と接見や文通をしながら、なぜいかにしてあの事件が起きたのか、そして「豊田と私を分けたものはなんなのか?」を問い続けてきた。氏の目的は、「二度とああいう事を繰り返してはならない」ということ。同じような事件の「再発防止」の道を明らかにし、「オウムもサリン事件も知らない、若い世代」の人々に訴えるにはどうすればよいか。氏は2000年より東大助教授の職を得て、そこで「情報処理」の科目を担当し、「豊田に協力してもらって「再発防止カリキュラム」を作り、毎年300〜400人ほどの学生を指導している」という。だが、「もっと間口広く、ひとりひとりに語りかける」ためにこの原稿を書き、「開高健ノンフィクション賞」に応募するというルートで出版に漕ぎつけたということらしい。 このにはたし

  • 石原さとみ meets 小野田寛郎 - heuristic ways

    年末年始は特別番組が多いのでTV情報誌を買ってチェックしているのだが、昨夜仕事に出かける前に気づいたのが、TBS系で深夜の時間帯に放送の「石原さとみと小野田寛郎の戦争と平和を巡る旅」。「戦後60年特別企画“おじいちゃん、当のことを聞かせて”」と銘打ってある。「?」と首を傾げながらも、とりあえず石原さとみさんが見たいので録画した。小野田さんと言えば、私が子どもの頃、フィリピンから30年ぶりに帰還した軍人として騒がれていたことをかなり強烈に記憶している。昭和49年というから、私が8歳のときだ。なぜ彼が戦後長い間フィリピンに潜伏していたのか、当時の私はよく理解できなかったけれども、とりあえず過去に暗い戦争があり、小野田さんのようにして命からがら生き延びてきた人もいたのだということはインプットされた(たしかカエルなどをべて飢えを凌いでいたらしいという挿話は覚えている)。 しかし、なぜ「石原さと

  • 間接的伝達/複製可能性 - heuristic ways

    今頃になって改めて気づいたのだが*1、こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』は、年代記(クロニクル)という連作形式をとっている。*2「夕凪の街」の舞台は昭和30(1955)年の広島。建築会社(大空建研)に勤める平野皆実(23才)とその母フジミ(48才)は2人で川辺の掘立小屋のような家に住んでいる。皆実の弟・石川旭は戦争中、水戸市の伯母宅に疎開しており、そのまま養子になったという設定で、皆実に手紙を送ってきたりする。皆実は会社の同僚・打越から好意を示されるが、「何人見殺しにしたかわからない」被爆時の記憶に責め苛まれ、恋愛結婚のことには拒否反応を示してしまう。*3「桜の国」(一)は昭和62(1987)年の中野区が舞台。石川旭の娘・七波(皆実の姪に当たる)は小学校で放課後、野球の練習に加わったりしている活発な少女。病身の弟・凪生はぜんそくで入院しており、祖母のフジミも同じ病院で検査を受けたりして

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/10/06
    「記憶の「忘却」を肯定すること、あるいは新たな「記憶」を作り直すこと」
  • 外面的・偶然的関係の「秘密」 - heuristic ways

    ■こうの史代『古い女』 杉田俊介氏がブログで書いているので知ったのだが、こうの史代さんが小林よしのり責任編集の『わしズム』19号に『古い女』という6Pの描き下ろし漫画を載せている。これは、淡々とした語り口が何か不気味な距離感を感じさせるとともに、最後に切れ味鋭いアイロニーが「悪意」のように強烈な印象を残す作品である。不気味なのは、語り手の「わたし」(=「古い女」)が徹底して自分を「韜晦する(conceal one’s talent)」姿勢を貫いているからであり*1、アイロニカルなのは、自分を親や夫に尽くす良賢母的存在とみなしているかにみえるその「わたし」が、「古い男」である夫や弟を、戦地に送り出す日を(心配するのではなく)心待ちにしていることが最後に表白されるからである。*2 だが、こういう不気味さに私は見覚えがあった。以前、私はこうのさんの『長い道』について書いたことがあるが、この作品

  • http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20050816

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2005/08/19
    遠くの人、視野の外にいる人にそれを伝えるには、どうすればいいのだろうか
  • 見えないつながり - heuristic ways

    昨日、母(64)が突然、「うち、アスベスト大丈夫やった」と言うので、「あんた、アスベスト扱っとったん?」と訊くと、「うん、**製作所にいた頃にね。でも、病院で検査してもらったら、影響はないって」。「でも、ああいうのって、何十年もして影響が出るんじゃない?」「もう辞めて何十年になるかね」「ふーん、そしたら大丈夫なんかな」。そう言えば最近、母が祖母に体調の不良を訴えていたなということを思い出して、母も密かにアスベスト被害のことを心配していたのかと思い当たった。というか、身近にそういう人がいたことと、私がそのことを何も知らなかったことにやや驚いた。 私の母は、私が十歳のとき(1970年代半ば)に、父と離婚するとともに、それまでやっていた船舶清掃の仕事を辞めて、某ボイラー製造会社(工場)に再就職した。以来、十数年そこで働いていたが、私が学生時代、大阪にいた頃、身体を壊して(リウマチか何か)会社を辞

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2005/08/06
    漫画や小説を読むとき、私たちは何に「立ち合って」いるのか。
  • http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20050508