今年から開始する「taspo(タスポ)」について書きたいと思う。きっかけはnikkeiBPの記事「たばこカード「タスポ」、その導入経緯に怒れ!」(政治アナリスト 花岡 信昭氏 2008年2月14日)だった。花岡氏の記事は概ね正しい。ただ一つ意図的かもしれないが書いていないこともある。 「それにしても、2700万人がかかわる個人カードの導入、たばこ小売販売店への行政指導が、業界と財務省の意向 だけで決まってしまうのは、いかにも無神経すぎる。国会で大問題になったという話も聞かない。たばこ購入カー ドを強制され、たばこを買うことだけの番号が勝手に付けられる。国民としては怒りの声を上げていいはずだ。これは昨今の嫌煙ブームとは別次元の話である。」 カード導入の契機になったのは、花岡氏の記事にもあるように「2005年2月に発効した「たばこ規制枠組み条約」で未成年の自販機でのたばこ購入を防ぐ義務が締結国
「相撲」の様式を考えるとき、そこには歴然とした幾つもの表象が離れがたく結びつき構成されているのを意識する。髷を結う髪の毛、「まわし」以外は何も身に付けないほぼ裸体の姿、そして勝負までの一挙一足に至るまで、何から何までもが相撲の様式として成り立っているかのようだ。力士たちはそれらを無視することも外れることも出来ない。 2008年1月場所千秋楽の横綱同士による優勝決勝戦は見事だった。僕は夜中のダイジェストで試合を見たが実におもしろかった。二人の異国の青年力士による闘いは大相撲の醍醐味を直接に伝えていた。あの試合に解説は全く無用だった。 サッカー問題により二場所出場停止を受けた朝青龍は1月場所の序盤で土が付いていた。取り戻せない勝負勘、そしてモンゴルで傷ついた足、さらには風邪による発熱。しかし朝青龍に休む選択肢は全くなく、その結果二日目に稀勢の里に土俵下に送り倒された。このまま白鵬の全勝で有利の
僕は「翻訳について」以下の五つの条件をあげようと思う。「条件」を示す場合、「何の」という目的が必要と思われるが、 必ずしも同一目的下でまとめられてはいない。「翻訳について」という命題に思いつくまま羅列したに過ぎないと思う。でも強いて言えば、「翻訳とは一つの形式」というベンヤミンの言葉、そして翻訳の政治的側面からの視点が羅列の背景にあると意識はしている。 翻訳の原本(翻訳される側)は文書であること。つまり書かれている言葉である。そして、 翻訳本は原本の前に現れることは決してない。 原本は現時点における共時性をもった書かれた言葉ではなく、かつその書かれた言葉の意味が判読難しい状況にある。 原本は翻訳本となるラングとは別のラングで書かれている。さらに原本の文体は翻訳の文体を保証するものではない。 翻訳する理由、もしくは市場性がある。また市場の大小および対象は翻訳の技術面に影響を与える。 翻訳とは
「天国と地獄ってあると思う?」唐突に彼女が聞いてきた。いつものことだ。彼女はいつもそのことばかり考えている。同じ質問を何回してきたのかわからないほどだ。その時々の気持ちでやはり唐突に湧き上がる思いを自分の中に収めるのが苦手なのだ。 「僕はないと思っている」それもいつもの返事。その答えを聞いているようには思えずに彼女は続けて言う。それもやはり毎度のことだ。 「天国と地獄がないと思っているからこそ、いえ、ないと思えば何でも悪いことができるようになるよね」 「そんなことないんじゃないかな。たとえば、君は天国と地獄がないとしたら、悪いことなんでもできるの?」 しばらく考えているようなそぶりを見せるが、僕には彼女がどう切り替えしてくるのか知っている。 「あなたは天国と地獄があることを信じていいない」 「うん」 「神様っていると思う?」 やはり僕の質問を流したのだ。僕は彼女が天国の有無に関わらず、僕の
Amehare's MEMO TopicPath : Amehare's MEMO / 愚考 | 日記 | 映画・TV | 社会 / テレビドラマ「点と線」(ビートたけし出演)をみてだらだらと思うこと | Newer | Older 1958年(昭和33年)公開の映画「張込み」について、 監督である野村芳太郎は次のように語る。「この映画はリアリティが大事です。観客が少しでも嘘っぽく感じられないようにリアリティを求めました」 映画冒頭で、刑事たちが張込み現場に着くまで、列車内の場面が延々と続くのはそうした監督の配慮からきているのだと思う。 映画におけるリアリティの追求とはひとつのパラドックスに近いかもしれない。 人工的な所作により作られる「現実」は、 当然にそこに製作者の考えが盛り込まれている。つまりは、その時点で「現実」 は外部ではなく内部性からという矛盾を抱えてしまう。 ただし映画「張
Amehare's MEMO TopicPath : Amehare's MEMO / 写真 | 愚考 | 日記 | 風景 / 「PHOTO IMAGING EXPO 2007」 写真を撮ると言うことについて | Newer | Older 「PHOTO IMAGING EXPO 2007」に行った時のことを語ろうと思う。内容は主に写真を撮るという「行為」 に偏るかも知れない。でもそれは致し方がない。何故なら僕自身が写真を始めた動機がそれについて知りたいと思ったからだ。 展覧会に行くのは久しぶりだ。一時は頻繁に出かけ事もあった。無論、それらは会社関係での話だ。ただ行くと言っても、 ビジネスショー以外は、殆どが技術関連のセミナーに出席することが目的であり、 同時開催している展覧会があればついでにさらっと周囲を歩くといった感じである。 それらの展示会と今回の「PHOTO IMAGING EXP
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