タグ

ブックマーク / blog.livedoor.jp/kokusen_kudo (4)

  • 国語専科教室 工藤順一 『遠いまなざし』 : 言語政策と言語戦略

    2011年10月30日20:56 カテゴリ 言語政策と言語戦略 この国の「言語政策」がまったく見えてこない。 1外国人のための日教育、 2母語の教育としての国語教育 3外国語教育としての英語教育 端的に言ってこれらの三つの言語教育がばらばらに何の関連もなく進んでいるように思えてならない。少なくとも、後の二つ、つまり国語教育英語教育には緊密な関連があってしかるべきなのに、今年度から実施された小学校における英語教育の導入は、母語の教育すなわち国語教育とどう関わってくるのか何も見えてこない。国語教育で作文嫌いとの一冊もまともに読めない子どもたちを作り出しているのみではない。英語教育では中学生の三年生にもなると三分の二の生徒が英語嫌いになっていると聞く。むごいというか、ひどすぎる。これは私見でしかないが、英語と国語は同じ教師が同時に比較対照して教えるのがベストだと思う。 そのような文科省の

  • 国語専科教室 工藤順一 『遠いまなざし』 : 水村美苗の論文

    2008年09月05日11:42 カテゴリ 水村美苗の論文 普遍語・国語・現地語---英語の世紀の中で。 かつて『小説』という作品を面白く読んだことがあるが、小説家の水村美苗さんが新潮の9月号に、「日語が亡びるとき---英語の世紀の中で」という力作を発表している。長編評論ということだが、はじめの方は小説のようにも読める。後半部分に日語と日語で書かれた文学をめぐるグローバルな視点で描かれた評論がある。 彼女はひと言も書いてはいないが、私はこの論文を読みつつ、グーグルの野望というものを思ってしまった。グーグルは全世界のテキストをコンピューター上で検索可能にするだろう。だが、もちろん、それは英語に翻訳されているテキストに限る。そして、そのようなことも含めて英語は、現在、「普遍語」になりつつあるのであろう。政治・経済上での英国ならびにアメリカという国のありようとは一線を画して、そのように

  • 国語専科教室 工藤順一 『遠いまなざし』 : 書き言葉の本当の意味

    2008年08月21日18:28 カテゴリ 書き言葉の当の意味 文科省や多数の国語教育者に尋ねてみたいのは、次の二つの単純なことである。だが、おそらくは、だれからもお返事はもらえないはずだ。 1、文章を書く=作文の教育過程に、なぜ、きちんとした「書き言葉で書く」ということが意識的にプログラムされないのだろうか。 2、論理的思考力を養うという教育課題があるときに、なぜ、パラグラフ・ライティングというグローバル・スタンダードの手法をきちんと教えないのだろうか。 ----------------------------------------------- 1、については、これは単なる国語という教科内の問題を超えている。自分という主観的な視点を離れて、不特定多数の他者の視点=客観的視点でものを見ることが「書き言葉」を使用するということである。すなわち、それは、「抽象化」という9歳の壁に関わって

  • 国語専科教室 工藤順一 『遠いまなざし』 : 国語教育と言語技術教育について

    2008年02月08日15:21 カテゴリ 国語教育と言語技術教育について 風邪気味で、久しぶりに一日中家にこもり仕事を休ませてもらった。なんぞを開いているといろんなことに気がつく。 国語教育は変わらなければならない。その一点にしっかりとこだわってやってきたこの10年であった。 ある大学の文章論でも使われているという最近出版されたテキストを見ていると、なんだ、これはうちの教室では、小学生がやっているよというような内容のものばかり。しかも、うちの方がずっと具体的であり面白くできる。このようなことは、小学生からできるし、やらなければだめなのである。 つまり、何を言いたいのかというと、では、高校までのあの「国語」とは一体、何だったのかということである。それは日文学鑑賞の国語であった。 むろん、それが悪いということではもちろんない。それどころか私は高校時代の現代国語が大好きであった。唯一、特に

  • 1