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ブックマーク / macska.org (4)

  • HIV/AIDSの検査を呼びかける啓蒙活動が「暴力」になるとき - macska dot org

    今日4月18日は、シアトルで、National Transgender HIV Testing Dayというのに関連したパネルがあったので参加してきた。これはカリフォルニア大学サンフランシスコ校のCenter of Excellence for Transgender Healthというところが提唱したもので、トランスジェンダーの人たちがもっとHIV検査を受けられるような環境を整えよう、みたいな話。今年が初めての開催で、各地でイベントが開かれたが、来年以降も毎年行われるらしい。 トランスジェンダーの人たち、なかでもとくに白人でないトランスジェンダーの女性たちの多くが、無職であったり、ホームレスだったり、性労働をしていたり、日常の辛さに耐えるためにドラッグをしていたりして、HIV感染のリスクがとても高いとされている。だからもっと検査や予防や治療を呼びかけよう、みたいな日だ。 当事者のうち、社

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  • macska dot org » Blog Archive » 鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問 - コメント欄 -charlie のコメント 2006/07/20 - 06:54:59

    Filed under backlash, economics Posted on 2006/07/19 水曜日 - 08:35:14 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/147/trackback/ 56 Responses - “鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問” 斉藤 Says: 2006/07/19 - 18:25:53 - すばらしい力作(あ、いつもか・・)でした。これ、今年の日語圏フェミニスト論文大賞ものです! おっしゃるように、フェミニズムがバッシングの対象となるのは、ネオリベ社会になり、「誰が弱者であり、どの程度の手当てが必要とされるのか」

    macska dot org » Blog Archive » 鈴木謙介氏論文「ジェンダーフリー・バッシングは疑似問題である」と「弱者男性」論への疑問 - コメント欄 -charlie のコメント 2006/07/20 - 06:54:59
  • 米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望 - macska dot org

    ここ数年、米国の宗教界でもっともめざましく支持を拡大している勢力は、無神論者の集団だ。進化科学者のリチャード・ドーキンスが書いた『神は妄想である』はじめ、クリストファー・ヒッチェンス『God Is Not Great (神は偉大ではない)』、サム・ハリス『The End of Faith (信仰の終焉)』といった書籍が続々とベストセラーになるとともに、無神論を掲げるグループが全国で結成され、若い人を中心に多くの支持者を集めている。 論で「無神論」と訳されている言葉は atheism だが、この語の来の定義は「神が存在しないと信じる」ことではなく「神が存在するという信仰を持たない」ことであることを考えれば、「無神論」ではなく「無宗教」と訳した方がより正確かもしれない。そこをあえて「無神論」と表記するのは、ただ信仰がなく宗教に無関心といったニュアンスのある「無宗教」という言葉では、新しい無

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  • トランスジェンダー追悼イベントの不愉快 - macska dot org

    11月20日、ポートランドステート大学においてヘイト・クライム(人種やセクシュアリティなど被害者の属する社会集団への憎悪によって動機づけられた犯罪)によって殺害されたトランスジェンダーの人たちを追悼するイベントに参加。このイベントは毎年各地で同じ日に行なわれている。実際、毎年恒例にしなければいけないほど、米国内だけでも月に1件に近いペースでこうした犯罪は報道されているーー報道されていないものも多数起きていると思われる。 まず最初は、今年一年間で犠牲となったトランスジェンダーの人たちの名前と経歴が読み上げられる。親近感を持たせるためか「わたしの名前は〜です…こういう経緯で殺されました」みたいなセリフとして読み上げられるのだけれど、とても不自然。殺された人が自分のことをどう表現していたのか親しかった人などから話を聞いて再構成したのなら良いけれども、ちょっとそうとは思えない。というのも、被害者の

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