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ブックマーク / uraaozora.jpn.org (8)

  • 青空文庫で読める隠れた名作選 : ウラ・アオゾラブンコ

    青空文庫で読める隠れた名作選 ■小説(発表年順) 山田美妙「武蔵野」 明治20年 約36枚 秋の武蔵野を背景に、時代を南北朝時代の武士の抗争にとった悲劇的歴史小説。斬新な言文一致体で、当時の読者に強烈なインパクトを与えた。 巌谷小波「こがね丸」 明治24年 約83枚 近代日における最初の少年読物であり、児童文学史上における記念碑的作品。 川上眉山「書記官」 明治28年 約50枚 社会の暗黒面を描いた、いわゆる「観念小説」の代表作品で、官僚や資家の腐敗を題材としている。作者は明治41年に自殺。 広津柳浪「今戸心中」 明治29年 約106枚 吉原の遊郭を舞台とした作品で、愛欲のもつれから破滅していく人間を描いている。 徳冨蘆花「不如帰」 明治31〜32年 約377枚 幸せな結婚生活が、肺結核により崩壊していくさまを描いた悲劇小説。尾崎紅葉の「金色夜叉」と並ぶ、明治期の

  • 折口信夫 - ウラ・アオゾラブンコ

    折口信夫 【おりくち・しのぶ】 国文学者、民俗学者、歌人、詩人。釈迢空(しゃくちょうくう)の筆名も用いる。明治20年2月11日〜昭和28年9月3日。大阪府西成郡木津村に生まれる。明治40年、国学院大学国文科に入学。大正4年、民俗学者・柳田国男と会い、古代研究の上に大きな指針を見出す。大正5年、万葉集の口語訳を完成。大正8年頃より、民俗研究のため各地への旅行が頻繁となり、山人や異郷人との接触の中から多くの短歌も作られ、第一歌集「海やまのあひだ」(大正14)が生まれた。昭和4年、独自の方法による民俗学研究、国文学研究の業績をまとめた「古代研究」3冊を刊行し、文学博士の学位を受ける。また、研究の成果を論文のかたちではなく、小説のかたちで示すことも試み、「死者の書」(昭和14)が生まれた。昭和28年9月3日、胃癌により死去。享年66歳。代表作は「国文学の発生」、「妣が国へ・常世へ」、「海やまのあ

  • 森鴎外 - ウラ・アオゾラブンコ

    森鴎外 【もり・おうがい】 小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。名、森林太郎。文久2年2月17日(旧暦1月19日)~大正11年7月9日。島根県津和野町に生まれる。明治14年、東大医学部を卒業し、陸軍軍医となる。明治17年から21年にかけてドイツに留学し、医学を学ぶ傍ら、文学、哲学、美学への造詣を深める。明治23年、小説「舞姫」を発表。雅文体ながら近代小説の骨子を持ち、日文学の前時代からの戯作気質脱却を促進した。また、新しくかつ該博な海外思潮・文芸の知識により、訳詩集「於母影」(明治22)や、評論集「月草」(明治29)など、小説以外のジャンルでも同時代を啓蒙しつづけた。明治40年、陸軍軍医総監となり、軍医行政のトップとなる。後期には創作を離れ、「渋江抽斎」(大正5)など、史伝、考証の世界へ入っていく。大正11年7月9日、死去。享年60歳。代表作は「舞姫」、「ヰタ・セクスアリス」、

  • 小林秀雄 - ウラ・アオゾラブンコ

  • 近現代俳句まとめ

    近代以前を代表する歌人・俳人 近現代詩まとめ 近現代短歌まとめ 近現代日文学史年表 ・ このサイトは牧野信一電子文庫およびウラ・アオゾラブンコの別館です。 ・ Internet Explorer5.0以上のみ、ルビが表示されます。 ・ 著作権が存続している俳人は10句、消滅している俳人は25句の代表作品を紹介しています。 ・ このサイトの作成にあたって、大野林火『近代俳句の鑑賞と批評』(明治書院)、平井照敏『現代の俳句』(講談社)、川名大『現代俳句(全2冊)』(筑摩書房)、斎藤慎爾・坪内稔典・夏石番矢・復一郎『現代俳句ハンドブック』(雄山閣)、小沢実『俳句入門』(淡交社)、仁平勝『俳句の射程』(富士見書房)、夏石番矢『俳句のポエティック』(静地社)、松岡潔『現代俳句評論史』(角川書店)、沢木欣一『俳句シリーズ・人と作品17』(桜楓社)、斎藤慎爾『現代俳句の世界』(集英社)

  • 二葉亭四迷 - ウラ・アオゾラブンコ

    二葉亭四迷 【ふたばてい・しめい】 小説家。名、長谷川辰之助。元治元年4月4日(旧暦2月28日)〜明治42年5月10日。江戸市ヶ谷に生まれる。明治14年、東京外語露語部に入学し、ロシア文学に熱中する。明治19年、坪内逍遥を訪問し、生涯の知友となる。同年、小説の原理を考察した評論「小説総論」を発表し、その理論のもとに小説「浮雲」(明治20〜22)を発表。言文一致の心理主義リアリズムで、近代日文学の始まりを告げる記念碑的作品となった。また、同作と並行して、ツルゲーネフの「あひゞき」(明治21)、「めぐりあひ」(明治21〜22)を翻訳。革新的な文体で、文壇での名声は決定的となった。明治22年、内閣官報局雇員となり文壇を去ったが、明治39年、「其面影」によって文壇復帰。明治41年、朝日新聞特派員としてぺテルブルグに赴くも、その帰国途中の明治42年5月10日、肺結核により死去。享年45歳。代表

  • 考へるヒント

  • 血糖値測定器

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