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ブックマーク / www2s.biglobe.ne.jp/~ubukata (11)

  • 忘れられた偉大な作曲家 ミヒャエル・ハイドン

    前の文章へ戻る 「古典派からのメッセージ」目次へ戻る 表紙へ戻る 忘れられた偉大な作曲家 ミヒャエル・ハイドン ミヒャエル・ハイドンは、「交響曲の父」ヨーゼフ・ハイドンの五歳年少の弟である。兄と同じくウィーンの聖シュテファン大聖堂の少年合唱団に入り、美声で知られた。その後一七六二年に、ザルツブルグ大司教の楽団のコンサートマスターになり、モーツァルトがザルツブルグを出奔した後は、後任として大聖堂オルガニストをも兼ねた。特に教会音楽では広くヨーロッパにその名を知られ、晩年はエステルハージ侯やトスカナ大公からその名声にふさわしい地位の提供を申し出られたが、あえてザルツブルグのマイナーなポストに留まり、当地で六九年の生涯を終えた。 彼はモーツァルト父子と親しい間柄にあった。オラトリオ「第一戒律の責務」はミヒャエル・ハイドン、アードルガッサー、それに一〇歳のモーツァルトの三人の合作で作った。ミヒャエ

  • 司馬遷のリアリズム

  • 真の哲学者を愛す

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/10/08
    「光を以って人に臨むことの矛盾」
  • 丸山真男の陸羯南論

  • 生方史郎の「古典派からのメッセージ」

    令和3(2021)年1月22日(金)曇天 写真は近くの公園で見つけた紅梅です。近づくと若梅の香りに全身を包まれました。梅は春を待ちきれずに咲き誇っていました。小生はちょうど今、仕舞「箙(えびら)」を習っています。これは能「箙」のキリの部分を舞うものです。「箙」とは、武士が戦場で矢を入れて背に負う円筒形の道具です。源平合戦の緒戦となる生田の合戦で、源氏方の若武者、梶原源太景李(かげすえ)が梅花の枝を箙に挿して奮戦した華やかな模様を、ずっと後になって、修羅道に落ちている源太の霊が通りかかった旅僧に語り、供養を頼んでまた冥界に帰るというお話です。 仕舞はこの能のキリの部分を舞います。旅僧の前に現れた甲冑姿の源太の霊は、はじめは修羅道の有り様の浅ましさを嘆きますが、やがてかつての生田の合戦における自分の華々しい戦ぶりを思い出し、箙に梅花の枝を挿し、先駆けの功名を得ようと敵に向かい、様々な秘術を尽く

  • 丸山真男と古典

    前の文章へ戻る 「古典派からのメッセージ」目次へ戻る 表紙へ戻る 丸山真男と古典 丸山真男「文明論之概略を読む」をかじり読みする。この思想家が福沢諭吉という個性と直に向かい合う姿は、まるで小林秀雄が居宣長と向かい合う姿と同じなのは驚くべきことだ。この書の冒頭における丸山氏の古典観、歴史観は、小林が何度も何度も様々な変奏を以って繰り返し述べてきたものと全く同じと言ってよかろう。 「古典を読み、古典から学ぶことの意味は――すくなくとも意味の一つは、自分自身を現代から隔離することにあります。『隔離』というのはそれ自体が積極的な努力であって、『逃避』ではありません。むしろ逆です。私たちの住んでいる現代の雰囲気から意識的に自分を隔離することによって、まさにその現代の全体像を『距離を置いて』観察する目を養うことができます。…(中略)… いうまでもなく、『文明論之概略』の学問的研究のためには、維新直後

  • 古事記をめぐって Ⅲ「本居宣長」を読む

    前の文章へ戻る 「古典派からのメッセージ・1999年~2000年編」目次へ戻る 表紙へ戻る 古事記をめぐって~Ⅲ「居宣長」を読む 居宣長の鋭敏な感性に支えられた誠実な知の営みはあまりに同時代で卓越し巨大であったため、その全容を継承する者は現れなかった。その実証的学問の部分は伴信友に継承され、ナショナリズムの情熱の部分は宣長の死後の弟子である平田篤胤に受け継がれた。和歌を詠むことが生活の一部となっている宣長の世界に居る限り、国学のナショナリズムの情熱が狂気を帯び、テロリズムや軍国主義に至ることはあり得ない。しかし、柔らかな感性の発露たる和歌の世界と保守的な実務者の生活を欠いた篤胤の国学は、観念的なイデオロギーと化して人々に大きな影響を与えた。それは幕末の激越な尊王攘夷運動と軍国日のファナティックな皇国絶対主義の情熱の源泉となった。国学の実証的学問の伝統は、その後の民俗学の母体になったが

  • 古事記をめぐって~Ⅱ 本居宣長の人間学

    前の文章へ戻る 「古典派からのメッセージ・1999年~2000年編」目次へ戻る 表紙へ戻る 古事記をめぐって~Ⅱ 居宣長の人間学 Ⅰ 中世、近世において、古事記は忘れられた史書であった。居宣長以前は、古事記と同時期に編集された日書紀の方が古代日についての由緒ある歴史書だとされており、古事記は読み習う人も少なかった。 居宣長は、それまでの定説を覆し、古事記が日書紀よりも価値が高いと主張した。確かに書紀は、中国の史書に倣って体裁も整い内容も詳らかである。しかしその文体は、中国の史書を意識するあまり、漢文調に飾られたものであった。一方古事記は、稗田阿礼によって口誦された古い倭語の文体をそのまま伝えようと、太安万侶らが苦心して文字(即ち漢字。ひらがなという便利なものは平安時代の女流文学者たちが作り出すまでは存在しなかった)に写したものである。蔵している内容、心栄えを忠実に表現するには、

  • 古事記をめぐって~Ⅰ 古事記の面白さ

  • 芸術の効用とは何か

    芸術の効用とは何か Ⅰ 福田恒存全集第二巻所収の「芸術とは何か」において福田の言わんとするところは、抽象的な芸術の定義などではなく、「芸術が文明の中で来果たすべき役割、効用は何か」ということである。福田によれば、それは、演戯(演じ戯れること)であり、感情の浄化である。アリストテレスを裏づけとするこの考えの背景には、福田の深々とした人間観がある。曰く、 「生は貪婪に欲望し貯蔵すると同時に、また欲しいままに消費することをも欲求してゐる。人間は永遠に生きようとしてゐるのかもしれないが、その同じ営みがひたすらおのれを無に帰せしめようと試みているやうでもあります。人生にあらゆる目的を仮設することもできるが、同時にそれらの目的をも含めて、人生は無目的であり、無用であり、まったくの無駄遣ひとも見られます。」(全集第二巻「芸術とは何か」より。以下同じ) 人間の生理は、ただ蓄積と成長を直線的に成し遂げるよ

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2005/08/17
    芸術は、人間を何者かにするのではなく、何者でもなくなるようにするのである。
  • 福田恆存全集読書メモ(二〇〇五年)

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