前の文章へ戻る 「古典派からのメッセージ」目次へ戻る 表紙へ戻る 忘れられた偉大な作曲家 ミヒャエル・ハイドン ミヒャエル・ハイドンは、「交響曲の父」ヨーゼフ・ハイドンの五歳年少の弟である。兄と同じくウィーンの聖シュテファン大聖堂の少年合唱団に入り、美声で知られた。その後一七六二年に、ザルツブルグ大司教の楽団のコンサートマスターになり、モーツァルトがザルツブルグを出奔した後は、後任として大聖堂オルガニストをも兼ねた。特に教会音楽では広くヨーロッパにその名を知られ、晩年はエステルハージ侯やトスカナ大公からその名声にふさわしい地位の提供を申し出られたが、あえてザルツブルグのマイナーなポストに留まり、当地で六九年の生涯を終えた。 彼はモーツァルト父子と親しい間柄にあった。オラトリオ「第一戒律の責務」はミヒャエル・ハイドン、アードルガッサー、それに一〇歳のモーツァルトの三人の合作で作った。ミヒャエ