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古事記をめぐって~Ⅱ 本居宣長の人間学
前の文章へ戻る 「古典派からのメッセージ・1999年~2000年編」目次へ戻る 表紙へ戻る 古事記を... 前の文章へ戻る 「古典派からのメッセージ・1999年~2000年編」目次へ戻る 表紙へ戻る 古事記をめぐって~Ⅱ 本居宣長の人間学 Ⅰ 中世、近世において、古事記は忘れられた史書であった。本居宣長以前は、古事記と同時期に編集された日本書紀の方が古代日本についての由緒ある歴史書だとされており、古事記は読み習う人も少なかった。 本居宣長は、それまでの定説を覆し、古事記が日本書紀よりも価値が高いと主張した。確かに書紀は、中国の史書に倣って体裁も整い内容も詳らかである。しかしその文体は、中国の史書を意識するあまり、漢文調に飾られたものであった。一方古事記は、稗田阿礼によって口誦された古い倭語の文体をそのまま伝えようと、太安万侶らが苦心して文字(即ち漢字。ひらがなという便利なものは平安時代の女流文学者たちが作り出すまでは存在しなかった)に写したものである。蔵している内容、心栄えを忠実に表現するには、