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ブックマーク / bushoojapan.com (7)

  • 光秀も藤孝も幸村もハマっていた~連歌が戦国武将に愛された理由とは

    弓と馬、槍と刀の戦国武将。 その生涯は、戦に明け暮れるワイルドな日常かのようにも思えますが、実際はそれだけでもありません。 大名家に生まれたとなれば、教養も大切です。 彼らは美術品や漢籍を集め、読書に励み、感性や教養を磨いていました。戦の合間には政務だけではなく、そういった趣味を楽しむことも当然あったわけです。 そんな彼らの文化的な集いとして、映像化されやすいのが茶の湯でしょう。 中でも政治力が強い千利休は、大河ドラマにもしばしば登場。 一方で、茶の湯と勝るとも劣らないほどの人気があったにも関わらず、ほとんど取り上げられないものもあります。 「連歌」です。 連歌が注目される場面といえば、明智光秀が【能寺の変】直前に意味深な句を詠む「愛宕百韻(あたごひゃくいん)」くらいでしょうか。 今回はそんな連歌について、少し深掘りしてみたいと思います。 ※以下は愛宕百韻の関連記事となります 五七五七七

    光秀も藤孝も幸村もハマっていた~連歌が戦国武将に愛された理由とは
  • 注目度高まる古代中国の実態とは『周―理想化された古代王朝』著:佐藤信弥

    「今の若者はなっとらん! 昔はもっと礼儀正しかった!」 という言葉は昔からあると言われています。 古代エジプトでも、古代ギリシアでも、同じような嘆きがあったともよく言われる話です。 この程度の愚痴ならばまだわかりますが、 「今の人たちまったくなっていません。昔はもっと礼儀正しかったんです。見せてあげましょう、当の昔の理想とやらを」 とまで言う人がいたら、私は胡散臭さを感じてしまいます。 それでも「昔の理想を取り戻すなんて素晴らしい! 是非教えてください」と乗り気になる方は古来多いようです。 現代に限った話じゃありません。何世紀も前の話です。 「当の昔の理想」を思想にまで高め、現代に至るまで残した人がいます。 孔子です。 周公を崇め、夢に出てこなくなると「もう俺駄目かもしれない、周公が最近全然夢に出てこないんだもん」とスピリチャルなことを口走っていた孔子。 彼の広めた儒教とは、「重度の周

    注目度高まる古代中国の実態とは『周―理想化された古代王朝』著:佐藤信弥
  • 黒田家ルーツに迫る意欲作『黒田官兵衛目薬伝説』目薬とクロガネの関係

    桃山堂株式会社さんより『黒田官兵衛目薬伝説』なる書籍をご献いただきました。 NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でも、若かりし頃の岡田准一君が祖父の竜雷太さんから「黒田の家は目薬から財を成していったのじゃよ」と説明されておりましたが、このエピソード、史実では疑問符を付けられております。 果たして真実はいかなるものなのか。 書の担当編集者(桃山堂)さんで、九人の執筆陣のひとりでもある蒲池明弘さんから、書籍のあらすじをご紹介していただきましたので、早速、ご報告いたしましょう。 調べてみたら興味深い話が芋づる式にNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で、黒田家の目薬商いはすっかり有名になりました。 これが歴史上の事実かどうかについて、学術的な研究者のあいだでは否定的な見解が多いようです。 岡田准一さん演じる官兵衛は、歩行不自由の足なえの武将ですが、こちらについても史料の裏付けはなく、史実ではないのでは?と

    黒田家ルーツに迫る意欲作『黒田官兵衛目薬伝説』目薬とクロガネの関係
  • 現代に甦った「ガチ甲冑合戦」が本気すぎてマジ痺れる! 真田軍対伊達軍の道明寺合戦も再現

    【編集部より】 戦国時代の合戦は、意外なほどにその中身は知られておりません。 弓や鉄砲、投石を駆使し、互いに遠方から相手を傷つけようと試みた後、足軽たちが集団になって槍を携え、まるで一枚の壁のごとく構えた「槍衾」で叩き合う――。 そんなシーンは漠然とは伝わっておりますが、実際には、騎馬隊一つとっても、「馬から降りて戦った」とか「馬に乗って突撃していた記録もある」など、意見が別れるほどで、コレといった決めはありません。槍と槍で戦うナマの肉弾戦についても、「統制がとれて戦うのが理想だけどなぁ」と武田信玄公もこぼしているほどで、実のところ「よくわからん」というのが真実なのです。 そこで! 稿では、この甲冑合戦をガチで試みた衝撃のレポートをお送りしたいと思います。 執筆者は「実戦護身術 功朗法 総師範」にして「日甲冑合戦之會 代表」である横山雅始(まさし)氏。 武術で心身を鍛えながら、現代の世

  • 【書評】日本の米の故郷が絞り込まれた!『列島初期稲作の担い手は誰か』(すいれん舎) - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    弥生人が縄文人を駆逐した?弥生時代というのは、水田稲作だけでなく「金属器」の時代でもある。世界史的にみても「石器時代」と「鉄器時代」では文明度に大きく線がひかれるのが普通だ。 明治時代になると、欧米文化の流入により、日にもあった石器人がなにものかの議論が巻き起こる。 その時点での石器人(縄文人)は、アイヌ人やコロボックルなど、すくなくとも現代の日人とは違う人種という認識だった。 石器人=先住民や異民族ならば、日民族の祖先は渡来民族ということになる。 古事記などでも天皇の祖先神アマテラスの弟のスサノオは朝鮮半島と日列島を往来する神となっていることからも、それが裏付けられるとされた。 さらに、考古学でも、石器時代(縄文時代)と高塚時代(古墳時代)しかないと思われていたのだが、磨製石器の発見でその中間時代(弥生時代)が存在が明らかになった。磨製石器は主に石包丁とよばれる稲を刈る道具つまり

  • 地震大国・日本では過去に何度の大地震が起きたか?地震の歴史まとめ

    は地震大国です。 2011年3月11日の東日大震災から、今日でまだ13年。 『地震大国だってことぐらい知ってるわ』と、思われるかもしれませんが、では具体的にM6.1以上の大地震が、有史以来どんな頻度で起きてきたか?と問われたら、即答できる方は少ないでしょう。 もちろん私も知りませんでした。 なので、今回、ちょいと調べてみたら、驚愕の結果に……。 稿では日の地震の歴史をご報告したいと思います。 最初の記録は『日書紀』の416年日で最初の地震が記録されたのは『日書紀』であります。 今回参考にさせていただいた『理科年表』(国立天文台編)では、その地震を「416年」としておりますが、この時代の記述は大変曖昧で、どのような規模でどんな被害だったのかという内容を含めて、真実のところは不明です。 ただ、わざわざ書かれるということは、なかなか大きな揺れだったのでしょう。 では、M6.1以上

    地震大国・日本では過去に何度の大地震が起きたか?地震の歴史まとめ
  • 高校の日本史必修化が決定?! その背景と「地理」の扱い | BUSHOO!JAPAN

    では、高校で自分の国の歴史を習わなくていい――。こんな状態が1980年代から続いてきてましたが、ようやく解消されるかもしれません。6日、高校での日史必修化が早ければ2019年度から実施されるという報道がされました。 政府が高校での日史の必修化を検討していることが5日、明らかになった。 日史は現在は選択科目だが、海外で活躍する日人が増える中、自国の歴史を十分に学び、理解している人材を育成すべきだと判断した。文部科学相が今夏 にも中央教育審議会(中教審)に高校の学習指導要領の改定について諮問する。教科書検定などを経て、早ければ2019年度から日史が必修科目となる。(読売新聞) 社会科系は、公民と地歴の2分野あります。 公民は、「現代社会」「倫理」「政治・経済」の3種類。 地歴は「世界史」「日史」「地理」の3種類 1986年から、公民はどれか1つ、国際化のため「地歴」のうち世

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