ヨーロッパで珍しかった日本の鼻紙 ここで日本人の使う鼻紙が西洋人にとって、いかに珍しかったかを知るエピソードを紹介します。江戸時代の初期、すなわち17世紀始めのことです。奥州仙台の伊達政宗が、支倉常長一行を慶長18(1613)年にヨーロッパへ親善使節(慶長遣欧使節)として派遣しました。同年10月28日、支倉常長一行は現在の宮城県の月の浦港を出港し、1年後にスペインに上陸しました。一行は、スペインからイタリアに向かう途中に嵐にあって南フランスのサン・トロペに避難しました。その時のことです。支倉常長一行が使った鼻紙を見物に集まった人々が争って拾ったと言うことです。この時の様子がサン・トロペ侯爵、同侯爵婦人らの手によって記録され、それが、パリの国立図書館と南仏のカルパントラ図書館に現存しています。侯爵夫人は、次のように記録しています。 「彼らは、ほとんど掌の大きさほどの、中国の絹の鼻紙で洟(はな
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