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ブックマーク / kanimaster.hatenadiary.org (12)

  • 夏目漱石の「月が綺麗ですね」にまつわる考察と中勘助 『銀の匙』 - 蟹亭奇譚

    中勘助は明治18年に東京で生まれ、昭和40年に没した作家・詩人である。(谷崎潤一郎より一つ年上であり、谷崎と同年に亡くなった人だ。)彼は東京帝国大学英文学科で夏目漱石の講義を受け、のちに国文学科に転じた。明治44年に執筆した 『銀の匙』(前篇) が漱石に注目され、同作は東京朝日新聞に連載された。大正2年に書かれた同後篇も同じく新聞に連載された。*1 作は作者の自伝的小説である。幼少時代の回想がほとんどを占めており、子供の頃の出来事が子供の頃の視線で、時に美しく、時に醜く描かれている。前篇の前半は 「よくこんな細かいことを覚えてるなあ」 と思わせるようなエピソードが順不同に並べられているが、小学校に上がるあたりから次第に主人公 《私》 の成長過程がストーリーの軸になって行く。ときどき 《私》 が幼い頃の出来事を回想する場面があるのだが、「あっ!」 と声を出して驚いてしまうほど効果的な挿入の

    夏目漱石の「月が綺麗ですね」にまつわる考察と中勘助 『銀の匙』 - 蟹亭奇譚
  • バッハ 『無伴奏チェロ組曲』 聴きくらべ - 蟹亭奇譚

    ヨハン・セバスチャン・バッハの 『無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007』 から、有名な第1曲 プレリュードの演奏を、YouTube で聴きくらべてみることにする。 パブロ・カザルス(1876-1973) 1890年、若きカザルスは楽器店で当時全く無名だった 『無伴奏チェロ組曲』 の古い楽譜を見つけた。彼がこの曲を初めて公開演奏したのは1904年。ここまで十数年かかっている。全曲初録音は1930年代に行われ、今でも2枚組 CD で当時の演奏を聴くことができる。 上の映像は1954年に撮影されたもので、プレリュードは 0:52-2:58 で聴くことができる。 チェロってこんな音だったの? と驚いてしまうくらいユニークな音である。乾いていてゴツゴツしている。だが、カザルスのバッハは何度聴いても飽きることがない。 ポール・トルトゥリエ(1914-1990) フランスのチェロ奏者といえばピエ

    バッハ 『無伴奏チェロ組曲』 聴きくらべ - 蟹亭奇譚
  • 「訊く」という表記について - 蟹亭奇譚

    なぜ広まった? 「『訊く』が正しい」という迷信 - アスペ日記 を読んで。 「お前はまた何故結婚なぞしたのだ?」と、スクルージは訊いた。 ディッケンス Dickens 森田草平訳 クリスマス・カロル A CHRISTMAS CAROL(昭和4年) 上に引用した『クリスマス・カロル』には、「訊く」、「訊いた」、「訊ねた」という言葉(表記)がたくさん用いられている。"ask" の意味で「きく」を表すときに、「訊く」を用いる典型的な例である。 では、日文学ではいつの時代からこの用法は広まったのだろうか。 ちょっと興味を持ったので、青空文庫からいくつか調べてみた。 「どうしたの」と訊(き)くと、 「お留守番ですの」 「姉は何処(どこ)へ行った?」 「四谷へ買物に」 田山花袋 蒲団(明治40年) 僕の知る作家では、田山花袋が一番古い。(これ以前の使用例があったらご教示願いたい。) では、夏目漱石は

    「訊く」という表記について - 蟹亭奇譚
  • 芥川龍之介 『上海游記・江南游記』 - 蟹亭奇譚

    大正7年の谷崎潤一郎に続いて、大正10(1921)年3〜7月、芥川龍之介は大阪毎日新聞の特派員として、中国各地を旅行した。『上海游記・江南游記』 は芥川が帰国後に執筆、新聞に連載した紀行文を中心にまとめたである。 上海の日人倶楽部に、招待を受けた事がある。(中略) ――卓子(テエブル)を囲んだ奥さん達は、私が予想していたよりも、皆温良貞淑そうだった。私はそう云う奥さん達と、小説や戯曲の話をした。すると或奥さんが、こう私に話しかけた。 「今月中央公論に御出しになった『鴉』と云う小説は、大へん面白うございました。」 「いえ、あれは悪作です。」 私は謙遜な返事をしながら、「鴉」の作者宇野浩二に、この問答を聞かせてやりたいと思った。 芥川龍之介 『上海游記』 十九 日人 上海に到着早々、腹膜炎を患い3週間も入院したようだが、その後の上海では俄然飛ばしている。上に引いたように、読者へのサービス

    芥川龍之介 『上海游記・江南游記』 - 蟹亭奇譚
  • 「大切なことは目に見えない」 - 蟹亭奇譚

    イエスが十字架にかけられ、その後復活したときの話。 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 ヨハネによる福音書 第20章24〜25 (新共同訳聖書) その八日後、復活のイエスはトマスの前に現れて言う。 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 ヨハネによる福音書 

    「大切なことは目に見えない」 - 蟹亭奇譚
  • 猫の町、谷中へ猫に会いに行く - 蟹亭奇譚

    長かった梅雨のあけた翌日、谷中へ出掛けた。 JR 日暮里駅から谷中霊園を通り、坂の多い街並みをジグザグに下のほうへ降りていくと、そこはの町である。 写真は 「夕やけだんだん」 と名付けられた階段。以前、家人がここを訪れた際は、ちょうどの集会が行われていたらしく、十数匹のに会ったそうである。だが、真夏の白昼、は一匹も見当たらなかった。 「谷中銀座」 という下町商店街を抜け、根津方面に向かったのだが、どこまで歩いてもはいない。 仕方なく、通りすがりの人に案内をもとめることにした。 「すみませーん」 「はい?」 「あの、ここらへんでに会える場所、ありますか?」 「あー。よくそういうひと来るんだよね。じゃあ、ちょっとついて来なよ」 親切な人でよかった。さすがは下町、人情味にあふれている。 だが、案内のひとは通りをはずれ、どんどん住宅街の中を歩いていく。あたりは蝉時雨が聞えるばかり。周囲

    猫の町、谷中へ猫に会いに行く - 蟹亭奇譚
  • アテネに現れる「反逆の犬」。その名はしなもん!? - 蟹亭奇譚

    あの犬は何者?…ギリシャで暴動が起こるたびに登場する「反逆の犬」が話題に:らばQ ギリシア。政情不安の首都アテネで、連日起る暴動やデモ行進。――いつもそこにはヤツがいる。 民衆はヤツのことをカネロスと呼んだ。 Kanellos (Greek: Κανέλλος) (meaning "cinnamon") was a stray dog that resided in Athens, Greece. Riot dog - Wikipedia カネロスはギリシア語で 《しなもん》 という意味である。ヤツの体の色に由来する呼び名らしい。初代カネロスは高齢のため、2008年に亡くなった。現在、アテネで気炎をあげているのは二代目カネロス*1だ。 らばQ の静止画像を見るだけだと、カネロスがどういう活躍をしているのかよくわからない。暴動参加者の誰かが連れてきたようにも見えるし、ちょっと野次馬のように見

    アテネに現れる「反逆の犬」。その名はしなもん!? - 蟹亭奇譚
  • 「形容詞 + です」という日本語の用法について - 蟹亭奇譚

    「形容詞 + です」 は誤用ではない 変な日語(1) 「危ないですから」-九十九式 電車に乗っていると、ホームでこんなアナウンスがよく流れてくる。 「3番線に電車がまいります。危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください」 僕はこれを聞くたびに、強烈な違和感を覚える。電車には毎日乗るので、この襲い来る違和感と戦うだけで会社に着く頃にはヘトヘトになってしまう。 言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。 変な日語(1) 「危ないですから」-九十九式 「危ないです」 のように、「形容詞 + です」 という表現は、文法的に間違った用法ではない。上記リンク先の主張の根拠として、以下の MSN 相談箱の回答欄が引用されているが、これに至ってははっきり 《間違い》 といって良いだろう。 昭和27年の国語審議会で「形容詞+です」表現を「許容する」としたときから、日

    「形容詞 + です」という日本語の用法について - 蟹亭奇譚
  • 麦湯少女まとめ - 蟹亭奇譚

    http://d.hatena.ne.jp/toroleo/20090918/1253243196 ※強調部は引用者による。 天保に書かれた『寛天見聞記』には「夏の夕方より、町ごとに麦湯という行灯を出だし、往来へ腰懸の涼み台をならべ、茶店を出すあり。これも近年の事にて、昔はなかりし也」とあるように専門店である「麦湯店」も出現した。これは麦湯の女とよばれる14〜15歳の女子が、一人で事もなにもなく麦湯のみを4文ほどで売るものであった。 麦茶 - Wikipedia そこはかとないエロスが漂う風情なのだが、なぜ「14〜15歳」というような特定があるのかがやや不思議ではある。12〜13歳ではなく、16〜17歳でもなく「14〜15歳」だったのだろうか。 http://d.hatena.ne.jp/toroleo/20090918/1253243196 麦湯の屋台は江戸の夏の風物詩です。 脇に立て

    麦湯少女まとめ - 蟹亭奇譚
  • 太宰治 『正義と微笑』 - 蟹亭奇譚

    『正義と微笑』 は昭和17年に発表された中編小説。主人公の16〜17歳(数え年)のときの日記という形式で書かれているが、一体いつの時代の話なんだろう? と思って、昔のカレンダーをたよりに調べてみた。 誕生日は何曜日? 冒頭、「四月十六日。金曜日。」と書かれているので、日付と曜日から、これは1937(昭和12)年のことだとわかる。この小説の題材となった日記の著者、堤康久(Wikipedia)と、作中で言及されている 「綴方教室」(小学生の作文を収録した)の作者、豊田正子(Wikipedia)は、二人とも1922年生まれなので、冒頭の日記が1937年という設定であることは確実だ。 しかし、途中で半年ほど日記が中断し、翌年の1月に再開する箇所では、「一月四日。水曜日。」と記されている。上の万年カレンダーを見ると、1939(昭和14)年になっているではないか。日記は最後まで曜日がずれたままである

    太宰治 『正義と微笑』 - 蟹亭奇譚
  • プライドの高そうな表現 - 蟹亭奇譚

    「すべからく」の用法が正しいか間違っているかに関係なく、文章や発言の中に「すべからく」の言葉を使う人はプライドが高いのではないか? または、自分の教養の高さをひけらかしたいか、語彙の多さを見せつけたいか、見栄を張りたいか、背伸びした表現を使いたいか、のいずれかだろうと思われる。 「すべからく」のこと、その4 - takoponsの意味 僕もプライドが低いわけではないので、見栄を張ったり背伸びをしたりすることが多いのだけれども、こういった決まり文句(というか常套句)は常々気になっている。 彼の行方は杳として知れない。 「はっきりわからない」ではだめなのか。 寡聞にして知らない。 辞書には「見聞の狭いこと。主に謙遜の意で用いる。」とあるが、ちっとも謙遜になっていない例である。 蓋し名言である。 来の語義を失い、もはや「名言」にかかる枕詞と化しているようである。 これらの月並みな表現は須く濫用

    プライドの高そうな表現 - 蟹亭奇譚
  • 猫の言葉がだいぶわかるようになってきた - 蟹亭奇譚

    を2匹飼っているのだけれど、そのうちの1匹・ミイがものすごくおしゃべりである。僕が帰宅すると、たいてい「おかえり」くらいは言うのだが(もちろんの言葉で)、ときどき足元にすり寄りながら数分間止まらずにしゃべり続けることがある。身振り手振りというのとちょっと違うが、全身を使ったジェスチャーも混ざっている。それでたいがい通じてしまうのだから不思議なものだと思う。 ねーねー今日はねー雨がいっぱい降ってたのね。それからね雨がやんでおひさまが出てきたのね。そうしたら鳥さんが窓のところに来たから、にゃーってないたらいなくなったのね。 1歳くらいまでのミイはこんな感じの単純な話の内容だった。ずっと室内で飼っているのだけど、ミイは家の中の出来事はほとんど話さない。(もっとも2匹しかいない家の中はそんなに変化がないだろうけど。)彼女の話はもっぱら窓から見える外の世界の出来事に限られるのであった。 さて、

    猫の言葉がだいぶわかるようになってきた - 蟹亭奇譚
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