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ブックマーク / note.com/yanabo (9)

  • メディアの話その99 ダサいデザインと「サザエさんマーケティングの罠」。|柳瀬 博一|note

    「サザエさんマーケティングの罠」というのがある。 この話は16号線の話同様、二十数年ずーと語っているので、私の周囲の人たちは「まだおんなじこと言ってるのか」と苦笑するはずである。 サザエさんマーケティングの罠の答えは公式ページに書いてある。 それは登場人物の年齢だ。 波平54歳 フネ50ん歳 マスオ28歳 サザエ24歳。 現代において波平とフネの「見た目」は70代どころか80代後半か90代である。マスオとサザエは30代どころか40代である、いや50代、もしかすると60代かもしれない。 なぜそう思うか。それはサザエさんがはじまったのが1940年代の終戦直後。そしてアニメが1960年代だから、である。 当時の平均寿命は60代である。定年退職は55歳である。 波平はあと1年で定年で、あと10年もしないうちに死んでもおかしくないわけである。つまり「ほぼ老人」なのだ。 マスオとサザエはこのあともう2

    メディアの話その99 ダサいデザインと「サザエさんマーケティングの罠」。|柳瀬 博一|note
  • 国道16号線 千葉と富士と古墳群と。|柳瀬 博一

    1日、千葉を一人で走っていた。 メモを残しておく。 千葉の16号線エリアがどんな地形をしているのか。改めてきめ細かくみたくなったのだ。 朝、家を出て、東京アクアラインで木更津に向かう。 木更津で降りて、そのまま富津へ。 高速道路を降りるところから、冬富士がどーんとみえる。 富津の岬をめざす。公園の入り口から岬の先端まで1キロ以上ある。 潮の関係で堆積した、富津岬。 駐車場の前には、中洲がある。 パラシュートをつけたサーフィン(あれ、なんていうんだろう)をやっているひとたちが、十人以上いる。 展望台にあがる。 富士山が大きい。 橋頭堡ごし。 おそらく、三浦半島のつけねのあたり、追浜から田浦のあたりの向こうに富士山がみえる。 猿島の向こうに米軍基地と横須賀の市街。 そこから左手にぐいっと横須賀の街並みが伸びて、先端の観音崎の緑の下に京急ホテルと横須賀美術館がわかる。 あそこが走水だ。 日武尊

    国道16号線 千葉と富士と古墳群と。|柳瀬 博一
  • 16号線は日本人である 序論 柳瀬博一|柳瀬 博一

    人間の「文明のかたち」を規定しているのは、「地形」である。 『銃・病原菌・鉄』で看破したのは、生物学者にして人類学者のジャレド・ダイアモンドだった。 現世人類はアフリカで誕生した。およそ20万年前。そしてアフリカを出て他の大陸へ進出を始めたのが8万年前。つまり、現世人類が一番長く過ごした場所は、生誕の地であるアフリカ大陸なのである。けれども、その後、文明が発達し、現代に至る経済成長の中心となったのは、“わずか”数万年前に人類が移住したヨーロッパと東アジアであった。 なぜ、アフリカでなく、ヨーロッパと東アジアで? かつて、この疑問に対しては、人種の優劣を問う話がずいぶんとあった。学者を含めて。 が、ダイアモンドは、違う答えを導き出した。 地形である。 アフリカは南北に長い。南北に長いということは、北から南に移動すればどんどん気候がどんどん変わってしまう、ということである。気候が地域ごとに変わ

    16号線は日本人である 序論 柳瀬博一|柳瀬 博一
  • メディアの話、その25。古びない話、古びる話。|柳瀬 博一

    「遺伝子」と名のつく翻訳書、3冊を立て続けに手に入れた。 ひとつは、『ゲノムが語る人類全史』(文藝春秋)。もうひとつが『遺伝子』(上下巻 早川書房)。そして『利己的な遺伝子』40周年記念。 『利己的な遺伝子』については、すでにこの雑文で取り上げた。 リチャード・ドーキンスが記した書が英国で発行されたのは、1976年。 初版から41年たっているのである。 このは、日で4回もかたちを変えて出版され続けている。 日で最初に書が翻訳されたときのタイトルは『生物=生存機械論』。 1980年。一般にはほとんど知られることのない存在だった。 次に、いまみんなが知る『利己的な遺伝子』というタイトルに改めて発行されたのが1991年。このが爆発的にヒットし、トンデモ解説がいくつも出版され、「利己的な遺伝子」はある種の「流行語」になった。生物学のみならず、心理学、社会学、政治学、経済学など、人間

    メディアの話、その25。古びない話、古びる話。|柳瀬 博一
  • メディアの話、その36。地図というメディア。|柳瀬 博一

    ジュンク堂書店に面白い地図が売っていた。 「荒川流域の高低差まるわかりMAP」 荒川の流域の地形がA1のポスターサイズでどーんと示されている。 地図をつくったのは、埼玉県立川の博物館。 こちらは埼玉県の寄居町にあって、荒川流域の上流部にある。 荒川の巨大な流域ジオラマがあるのだ。 なぜ、知っているかというと、前に『タモリ倶楽部」で特集したからである。もともと『タモリ倶楽部』は、スタジオを持たぬ「流浪の番組」で、つまり番組自体が「散歩」し続けているようなものである。 そんなタモリさんの散歩欲を引き寄せた川の博物館のつくった地図。 この地図の製作プロセスについては、川の博物館の杉内由佳さんがすごく丁寧に解説くださっている。ぜひ読んでいただき、そしてこの地図を手に入れてほしい。 http://www.river-museum.jp/archives/kiyou/No16/kawahaku-kiy

    メディアの話、その36。地図というメディア。|柳瀬 博一
  • メディアの話、その23。赤瀬川原平さんと山下裕二さん「応援」というやりかた。|柳瀬 博一

    2000年に、『日美術応援団』というを編集した。 著者は、赤瀬川原平さん(写真の右)と山下裕二さん(左)。装丁は南伸坊さんである。 いまから18年前に出たこのは、日美術という「古典芸能」におけるビフォーアフターの連接点となった。 大げさではござらぬ。当にそうなんです。 このが出るまで、「日美術」というのは、中学校や高校の美術の授業で「しょうがなく教科書で眺めるもの」であり、京都や奈良の修学旅行で「しょうがなく通り過ぎるもの」だった。大半の人々にとって。 日美術は、典型的な「カビのはえた」古典芸能のひとつ、だったのである。 私が言っているのではない。1996年、いまはなき「日経アート」(という雑誌があったのです。一般誌じゃないですよ、業界誌です。ビジネス誌です。ある意味、投資雑誌です。そのほか「日経リゾート」とか「日経ギフト」とか「日経イベント」とか「日経ストアデザイン」とか

    メディアの話、その23。赤瀬川原平さんと山下裕二さん「応援」というやりかた。|柳瀬 博一
  • メディアの話その1 南伸坊さんにマクルーハンを教わった。|柳瀬 博一

    今日から、「メディア」について、いろいろなことをメモ代わりに書いていこうと思う。 きっかけは、マーシャル・マクルーハンのを数十年ぶりに読む機会があったからだ。 マクルーハンの『メディア論』は、「有名だけど、案外読まれていない」の典型だったりする。 もちろん、私もその例に漏れない。実際に読んだのは、マクルーハンの名を知ってから、ずいぶんあとの話である。そして、その中身が示すところの意味が自分なりにわかったのは、なんと昨年のことでした。 マクルーハンという名を最初に知ったのは、たしか70年代の終わりだったか、80年代の初めだったか。自分は中学生だか高校生だか。 もちろん、マクルーハンのを直接読んだわけじゃない。 竹村健一さんがテレビか雑誌で紹介していたのを、ちらっと見たのだ。 当時、竹村健一さんは、当時91分けの実に実に個性的な髪型で、テレビに朝から晩まで登場していた。パイプを片手に、や

    メディアの話その1 南伸坊さんにマクルーハンを教わった。|柳瀬 博一
  • メディアの話、その13 トラクターと自動車と。|柳瀬 博一

    昨年、仕事ドイツ・ハノーファーで、大量のトラクターを見てきた。 2017年は、個人的に「トラクター」が再発見された年。 中公新書の『トラクターの世界史』がベストセラーになったのはその象徴である。・・・と、勝手に思っているわけですね。 トラクターは20世紀のおかあさんだ。 トラクターが19世紀末に誕生し、ヘンリーフォードにより大量生産され、アメリカ全土に普及すると、農業は一気に変わった。「工業」になった。 聖書における、人類最古の殺人は、カインによるアベルの兄弟殺しである。 兄カインは農夫で、弟アベルは羊飼い。 神に、兄カインは農業作物=土の実りを、弟アベルは羊の初子を捧げた。 神はアベルの羊に目を向けたが、カインの作物には目を向けなかった。 嫉妬したカインはアベルを殺す。 神は、カインに問う。「アベルはどこに?」 カインは「知りません。私はアベルの番人じゃないので」と嘘をつく。 無論、神

    メディアの話、その13 トラクターと自動車と。|柳瀬 博一
  • メディアの話その5。トットとドリフとひょうきんと。|柳瀬 博一

    ここ数年、黒柳徹子さんの半生がドラマになっている。 そのひとつが、1年ちょっと前、満島ひかりさんが黒柳徹子さんを演じたNHKの「トットテレビ」。黒柳さんご自身も、狂言回しで登場する。 黒柳さん=トットちゃんは、テレビ局としてスタートしたばかりのNHK初の専属女優だった。たしかそんな立ち位置だった。いまでは考えられないけれど、国営放送に専属女優がいたわけである。 私自身が最初に黒柳さんを認識したのは、ご人ではなく、声だった。 黒柳さんがNHK専属となったおそらく10年ほどあと、1960年代半ばに放映された英国の人形SFサンダーバード。ピンクの6輪ロールスロイスを、元強盗のパーカーに運転させ、華麗に諜報員を務めるお嬢様、ペネロープの声として。 記憶に残っているはじめてのカラーテレビ放送は、サンダーバード。ということは、私が一番最初に認識したタレントは黒柳さんだった、ということになる。 いまに

    メディアの話その5。トットとドリフとひょうきんと。|柳瀬 博一
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