「今学期に学んだ全てを使ってこのイスが存在しないことを証明しなさい」 ↑この一言で教授は存在を認定しているんだが、それを無いと証明すると言う行為は教授の知性を否定する事であって、ひいては授業の存在価値を0に貶めると言う事になる訳で、価値0の授業の成果を全動員してもその理論に裏づけが為されなくなってしまう。言うなれば、ここで問われているのは、学生の一年間の努力が雲散霧消しないために、教授の妄想(有りもしない椅子)の存在を敢えて否定してみせる所に評価の基準が置かれるわけである。 故に、たとえ見えない椅子であろうとも『優』の評価を得るためには、全力で屁理屈を述べまくるのが正しい学生のあり方であって、椅子の存在の有無などどうでもいい瑣末な事なのである。 悲劇なのは、教授自身がこの事に全く気がついておらず、トンチで切り抜けた学生を不当に評価してしまったと言うと心にあるのである。・・・・・・・・・・・