江戸幕府は禁教と貿易統制を目的として、寛永16(1639)年にはポルトガル船の来航を禁止、寛永18(1641)年にはオランダ商館を長崎の出島に移し、いわゆる「鎖国」体制を確立しました。「鎖国」体制下でもオランダ、中国との交易や朝鮮、琉球との通信は続けられ、特に唯一の西洋国家であるオランダがもたらした文物は、我が国が近代的な西洋知識を得るための貴重な情報源となりました。 オランダを通じて入手した蘭書は、暦を司る幕府の天文方やオランダ通詞(通訳官)、蘭学者らの限られた知識人たちによって翻訳されました。一方で、蘭学による幕政への影響を警戒し、幕府は蘭書の翻訳出版を厳しく規制していました。 我が国で蘭学が隆盛した18世紀後半から19世紀半ばにかけては、西洋諸国では市民革命や産業革命が起こり、近代化が進んで世界情勢が大きく変化した時代でした。本章では、オランダを通して見た世界、そして世界から見た日本
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