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ブックマーク / sasakiarara.hatenadiary.com (4)

  • さようならミリバール - ねこの森へ帰る

    「ミリバール」を一文字にしたような記号がある。 OSやフォントによっては出ないかもしれないが、これである。 ㍊ 読みにくいので大きくしておこう。 しかし、21世紀はヘクトパスカルの時代である。と、書いてみて、なんかすごく大風呂敷を広げているような響きがして気持ちよかったので、話の腰は大幅に折れるが風呂敷を広げるだけ広げてみよう。21世紀はヘクトパスカルの時代である。私たちの文明はヘクトパスカルによって支えられているといっても過言ではない。高度にヘクトパスカライゼーションされたこの社会は、後世の歴史家によって「ヘクトパスカル文明」と呼ばれることになるであろう。 満足した。話を戻す。 いや、戻したくなるほどの話はない。私の話とは、「ミリバール」という単位を使わなくなってしまった現在、この組み文字はどんな末路を遂げるのだろう、という些細な疑問だ。しばらくは生き残るだろうが、あと5年もすれば無用論

  • ドラえもん短歌と歌人・仁尾智について - ねこの森へ帰る

    9月3日はドラえもんの誕生日。この*1が出てもう4年になるのか……。 ドラえもん短歌 作者: 枡野浩一出版社/メーカー: 小学館発売日: 2005/09メディア: 単行購入: 1人 クリック: 39回この商品を含むブログ (43件) を見る このの中の仁尾智(にお・さとる)*2の短歌はすごくいい。他にもいい短歌がつまっていることは認めるが、私の中では仁尾さんが圧勝している。仁尾家のが妙に私になつっこいことでひいき目に見ているきらいはもちろんあるが、だとしても。 ・自転車で君を家まで送ってた どこでもドアがなくてよかった(仁尾智) は、各方面で絶賛され、いまや仁尾を代表する一首になった。しかし、この短歌は、青春の匂いが濃すぎて、仁尾の短歌の魅力がやや減ぜられているように感じる。仁尾の短歌の魅力は「要領の悪さ」「不器用さ」みたいなものにある。 ・「この家はどうだ?」とに聞いてみる 何

    ドラえもん短歌と歌人・仁尾智について - ねこの森へ帰る
  • 昔の原稿から - ねこの森へ帰る

    僕にも昔、父がいた。 父はラグビーが好きだった。高校時代にラグビーをやっていたというけれど、そして、時々強かったようなことを僕に吹聴していたけれど、当のことはわからない。僕に着実に伝わってしまった遺伝的形質から分析するに、補欠と球拾いの境目あたりで活躍していたんじゃないか、という気もする。 でも、そういう「客観的事実」は子どもにとって、大人が気にするほど重い要素ではない。父がラグビーのルールや選手や戦略にものすごく詳しい、それだけで、僕は十分に尊敬していた。 ある秋の終りに、父は僕を、千駄ケ谷にあるラグビー場に連れていってくれた。父はダフ屋から格安のチケットを買い、大して観客の入っていないスタンドの、それも風の一番強い後部席に陣取った。父の言葉によればラグビーは戦略のスポーツで、グランド全体が視野に入るこの席こそが絶好のポイントであるそうだ。 寒風に震えながら父と一緒に見た独走トライは、

    昔の原稿から - ねこの森へ帰る
  • ダンディとつぶやきと講談と落語 - ねこの森へ帰る

    芸人の間では、ダンディ坂野さんは「師匠」と、つぶやきシローさんは「先生」と呼ばれているそうだ。 どちらも「昔ブレークしたピン芸人」というカテゴリにくくられていて、僕ら素人から見る限りは、どちらも同じような「ショボさ」を売る芸風であるようにもみえる。でも、私は、その二人の呼ばれ方の違いを耳にして、「なるほど」と合点がいった。 言うまでもないことだが、話芸の世界では、落語家のことは「師匠」と呼び、講談師のことは「先生」と呼ぶ習わしがある。そして、ダンディ師匠とつぶやき先生との二人の芸風は、この話と無関係ではない気がする。 ダンディ師匠の芸は、一貫して「しょぼい私を笑ってください」というテーマに沿っている。「気が弱い」「かっこつける」「性格悪い」「我田引水」「空気を読まない」そういった人間の持つ様々な弱さを、「ダンディ坂野」というキャラクターに背負わせ、笑われる。「人間の弱さを弱いままに演じて見

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