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ブックマーク / sohujojo.hatenablog.com (6)

  • 「ドレミを選んだ日本人」千葉優子著 - 爽風上々のブログ

    明治維新まではほとんど西洋音楽には触れることの無かった日人が、今では完全に西洋音楽の体系に組み込まれており、昔の伝統音楽は一般の人々は聞くことも少なくなっています。 正月などには宮城道雄の「春の海」が流れることもありますが、実はそれは日伝統の音楽とはかなり異質なもので、西洋音楽に触れながら変質したものだということもほとんどの人は気づきません。 音楽史の研究者でもある著者が、日人がいかに西洋音楽に触れ、そして取り入れていったか。(そして完全にそれに取り込まれてしまったか)の過程を非常に詳しく解説したものが書です。 現代の人が西洋音楽と取り入れた過程について抱く印象は、明治政府の欧化政策により自然に進んだというものでしょうが、そう簡単なものではなかったと言うことです。 明治以前に実は西洋音楽も一度日に入っていました。戦国時代末期にキリスト教宣教師とともに聖歌などが楽器と共に来日したそ

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  • 「人名用漢字の戦後史」円満字二郎著 - 爽風上々のブログ

    戦後の国語改革の中で、漢字の使用制限と言う面では漢字撤廃を目指す人たちが主導して実施したために当用漢字制定は拙速で不合理なものであったということを説いたを読んだことがありました。 sohujojo.hatenablog.com 漢字の問題としては、当用漢字以外にも「人名漢字」というものがあり、そこにも強い制限があるということが数々の問題を引き起こしているということはこれまでにも様々なニュースなどで知ってはいましたが、この点について詳細な戦後史を書かれたのが、書著者の円満字さんです。 なお、円満字さんは出版社で漢和辞典の編集をされているということですが、お名前が正に最適という印象を受けます。 1947年、新憲法下でさまざまな問題を変えていこうという中で、戸籍法も改正ということになりました。 それまでは、戸籍に用いる漢字に制限はなくどのような字でも受け付けていたのですが、それを「常用平易な

  • 「漢字がつくった東アジア」石川九楊著 - 爽風上々のブログ

    書名から受けた印象で、漢字についての考察かと思ったのですが、実は書は漢字の書体というところから東アジア全体の文明の発展を考えるという歴史観の文書でした。 著者は書家であり、古代からの漢字や仮名、ハングルやチェーノムの書というものを研究されてきてそこから歴史の発展というところに思索を進めていったということです。 漢字というものは紀元前1300年ころに中国の殷(商)の時代に成立しましたがそれは卜占の結果を留めるためのいわば宗教文字でした。 それが秦の始皇帝により篆書が始められ人間の社会を表す文字として発達を始めたということです。 350年頃になり王羲之により草書が完成されました。王羲之は書家としては非常に有名ですが、著者は書としては確立したという功績は大きいものの書の個性というものはまだ生まれてきていないと見ています。 その後、650年頃に唐が起こると同時期に漢字の書体では楷書が確立します。

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  • 「日本語の歴史2 文字とのめぐりあい」編集委員 亀井孝、大藤時彦 山田俊雄 - 爽風上々のブログ

    第1巻の読後感想で、じっくりと読まないと分からないと書きましたが、しょうこりも無く第2巻も読んでしまいました。こちらは少しは分かりかけてきたかもしれません。 第2巻は文字についてです。中国から伝わった漢字を使いさらに仮名を作り出して日語の表記をして行ったと言う大雑把な理解をしていましたが、なかなか一筋縄ではいかないものだったようです。 第1巻でも書いたようにこのシリーズは40年以上前に書かれたものを2007年に復刻したもので、その間の研究進展で新たな資料が出たりした部分もありますが、今になっても光を失わない先鋭的な議論が展開されています。 たとえば、漢字は「表意文字」といわれますが、これは正しくは「表語文字」と言うべきものであり、1文字で一つの単語ということです。これも現在でも成り立つものです。 世界には何通りかの文字の系統がありますが、それがただ一つの起源から生まれたという説もあるよう

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  • 「ハタケと日本人 もう一つの農耕文化」木村茂光著 - 爽風上々のブログ

    江戸時代の大名の領国を著すのに五万石や百万石など米の生産高だけで呼ぶというところから、昔は稲の生産のみが注目されていたかのように考えがちですが、当然のことながら畑の生産というものも昔から行われていたのは間違いないはずです。しかしやはり正確な記録というものはあまり残っていないようで、そこをあらゆる角度から多くの文献資料を解読して畑生産の歴史を見直してきたというのが、著者の木村教授の研究だそうです。 畑作の歴史研究も少ないとは言え研究は続けられてきましたが、有名なものでは網野善彦氏の「水田中心史観批判」というものもあったようです。しかし、著者は網野氏の主張も逆に行き過ぎたものがあり、水田も畑も同時に作ってきたのが多くの日の農家であり両方をバランスよく考えなければいけないと語っています。 縄文時代は稲作渡来以前ということなので、そこには畑しかなかったはずですが、その後稲が伝わり主要作物が米と言

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  • 「白川静の世界 Ⅰ文字」立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所編 - 爽風上々のブログ

    甲骨文字の研究などで大きな業績を挙げた白川静博士の業績について、白川氏の功績を顕彰しさらに広めるために設立された文字文化研究所の白川博士の門下の方々によりまとめられたものです。 第1巻は「文字」ということで、業績の中でも最大のものと言える漢字研究についてです。 漢字は中国古代の殷(商)王朝の時にまとめられたと考えられていますが、その初期の姿は甲骨文字という殷王朝での占いの結果を記した骨の破片に見られます。しかし、これらの骨は実は最近になって発掘されたものであり、それまでは金文といった周王朝の時代になって作られた青銅器に彫られた文字や、その後の時代に使われていた文字しか分かっていませんでした。これは秦漢の時代でも同様で、現代から見るとほとんど古代と言えるようなそれらの時代でも漢字発祥からはすでに1000年以上経って居り、最初の意味は忘れられていました。 その頃に著された後漢の許慎による「説文

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