最近話題を集めた記事に『徒然草』の第五十二段をあげて次のようなことが語られていました。 大学時代の恩師が、こんな話をしていました。 … まずそもそも、 「この時代の石清水ってのは、言ってみれば観光地だ。みんな遊びに行くところだ。 そこへ 『みんな行ってるのに自分はこの歳まで詣でたことがない』 って“心憂く”覚えたりするのはすでに何か勘違いしてるわけだ。 まじめというか世間知らずというかな」 「で、“徒歩にて詣でけり”な。 普通はみんな船で行くんだよ。 それで船の中で飲んで騒いでな。 そうすりゃ石清水八幡宮がどんなところかも教えてもらえたろうに、こいつは一人でてくてく歩いて行ったんだな」 まあ、仁和寺の法師のくそまじめっぷりが笑いどころなわけですが。 ……「そんなの知ってたよ。常識だろ?」って人がどのくらいいますかね? もはや我々は、古典文学を「読む」ことはできても「感じる」ことはできなくな
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