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ブックマーク / uumin3.hatenadiary.org (10)

  • 石清水八幡宮 - uumin3の日記

    最近話題を集めた記事に『徒然草』の第五十二段をあげて次のようなことが語られていました。 大学時代の恩師が、こんな話をしていました。 … まずそもそも、 「この時代の石清水ってのは、言ってみれば観光地だ。みんな遊びに行くところだ。 そこへ 『みんな行ってるのに自分はこの歳まで詣でたことがない』 って“心憂く”覚えたりするのはすでに何か勘違いしてるわけだ。 まじめというか世間知らずというかな」 「で、“徒歩にて詣でけり”な。 普通はみんな船で行くんだよ。 それで船の中で飲んで騒いでな。 そうすりゃ石清水八幡宮がどんなところかも教えてもらえたろうに、こいつは一人でてくてく歩いて行ったんだな」 まあ、仁和寺の法師のくそまじめっぷりが笑いどころなわけですが。 ……「そんなの知ってたよ。常識だろ?」って人がどのくらいいますかね? もはや我々は、古典文学を「読む」ことはできても「感じる」ことはできなくな

    石清水八幡宮 - uumin3の日記
  • 2009-12-28

    障碍者はどうのこうのと他人事のように話すことはできません。どうも障碍というと先天的なものがまずイメージされてくるようで、そうなると自分とは関係ない一部の人のもの…という発想が強くなってしまいがちです。 しかしながら平成18年の厚労省の調査で見ても、その三分の二は40歳を越えてからのもの(身体障害・在宅)となっています。つまり今、40歳未満で障碍なんて他人事と思っている人が今後障碍を持たないとは言い切れないのです。 障碍を持つ人のこれだけの割合が中高年以降に認定されているということは、少なくともそれが自分には関係のない一部の人のものとみなすことはできないということを意味しています。 (右図は「障害発生時の年齢階級」です。水色の部分が40〜64歳 38.2% 濃い紫が65歳以上 24.3% となっています) 結局、障碍者排除みたいな発想は他人事だからでてくること。 この調査結果をよくよく見れば

    2009-12-28
  • 鉢の木 - uumin3の日記

    ある東京の居酒屋、土曜日の深夜のことであった。 ちょっと異様な年齢層やルックスや話し方をする男女七人が内輪でパーティーをしていた。 一人の女子がヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねていたのだった。 それで、お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。 だがしばし、厨房でバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた。 そして突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、彼らに説教しはじめた。こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。 しかたなく七人は疲れた足取りで店を出て、どこか飲み直すところはないかと探し始めた。 そのとき雪を打ち払いながらチェーン店の部の人がやってきたので

    鉢の木 - uumin3の日記
  • 宗教関係サルベージ「仏教」 | 2009-02-03 - uumin3の日記

    Brittyさんが「仏教って知られていないよね」という記事を書かれてました。この日記では今までおおよそ80日ぐらいの宗教関係記事がありますが、まあ一度書くとなかなか繰り返しはしないもので、結構その時限りになってしまってるかもしれないなあと思います。しばらくサボっていたもので、肩慣らし(になるかどうかわかりませんが)いくつかサルベージしてアップしてみたいと思います。 (それぞれの記事にはそれなりの脈絡があったりするのですが、まあそこらへんは…) 仏教の流れ(20050719) 仏教以前 古代インドにおいては仏教以前にバラモン(インドの四姓制度の最上位の僧侶)階級を中心に、ヴェーダ経典に基づく自然宗教がありました。今現在あるヒンドゥー教は、およそ紀元前3世紀ごろからこの宗教が他の土着の要素を吸収して変貌しつつ成立したもので、そのヒンドゥー教と区別するため西洋の学者がこの古い宗教にバラモン教(B

    宗教関係サルベージ「仏教」 | 2009-02-03 - uumin3の日記
  • 和辻哲郎の『古寺巡礼』がトンデモだという話 - uumin3の日記

    先日、大野晋氏が亡くなられた時、やはりといっては何ですが『日語の起源』あたりを以ってトンデモ論だったなあと振り返る言及も少なからず見られました。 国際日文化研究センターの井上章一氏は以前に大野氏のこうした著作について次のように述べられていたことがあります。 …大野晋さんの『日語練習帳』はよく売れていますが、『日語の起源』などは岡倉天心的な色彩もあって、結局、彼はインド・ヨーロッパ語族に対するインド・日語族みたいなものを東アジアで想定したいという情熱がまずあったんじゃないかと思うんです。インド・ヨーロッパ語族ばかりが言語学界で大きい顔をしているのにひとあわふかせてやりたかったんじゃないでしょうか。 …大野さんが愛読している日の古典に出てくる言葉で、タミール語に似ているものがあって、そそられはったんだと思いますが… …大野さんのような地道な学問に長年勤しんできたような人の中で、何歳

    和辻哲郎の『古寺巡礼』がトンデモだという話 - uumin3の日記
  • 2008-05-08 - uumin3の日記 逆説の10カ条の言葉

    自分が何かを一生懸命やったってことの報いは、それを一生懸命やったってことだけさ という言葉は少し虚無的かもしれませんが、私は極東ブログで話題にされた「逆説の10カ条」からこの言葉を実は思い出していました。 id:aozora21さんの記事からchanmさんの「善き人よ、『それでもなお、人を愛しなさい』」の記事を拝見させていただいたのですが、御両者ともこの逆説の十戒の言葉を「善き人」に向けられたものだと理解されているご様子。 People are illogical, unreasonable, and self-centered. Love them anyway. 私はどうかと言えば、むしろこの言葉は、あえて極東ブログでも書かれていたキース氏の背景などを無視すれば、徹底的に希望に裏切られ虚無的になった後にまた人のもとへ回帰した人の言葉のように聞えたのでした。(そして相手は普通の人) それ

    2008-05-08 - uumin3の日記 逆説の10カ条の言葉
  • 原武史『滝山コミューン一九七四』 - uumin3の日記

    前評判の時からちょっと触れていたこのを、夕べ読み始めて昼過ぎに読み終えました。今とは全く異なった時代感覚の中をふらふらした気分です。またある程度の懐かしさと同時に、集団と個人の問題の重苦しさにあてられ続けた感もあります…。 話を、あさっての方向から始めてみたいと思います。つい最近話題になっていたあるブロガーの問題に関してそれなりに興味を持って追っていた私は、nitinoさん@うどんこ天気の「愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ」にたどり着きました。そこでまず掲げられた図に思ったのは、「何でここに全体主義?」という疑問でした。 nitinoさんが描かれたのは、あるブロガーの行為についてそれぞれどう関わるか・どう思うかのスタンスを、政治的立場チェックの表のように二つの軸を使って座標平面上でわかりやすく見せようとした図です。縦軸が「罵倒表現への判断軸」となっていて、

    原武史『滝山コミューン一九七四』 - uumin3の日記
  • 2007-03-14

    ついしん。どおかニーマーきょーじゅにつたいてくださいひとが先生のことをわらてもそんなにおこりんぼにならないよおに、そーすれば先生にわもっとたくさんの友だちができるから。ひとにわらわせておけば友だちをつくるのはかんたんです。 (小尾芙佐 訳) 知っている筋の休止宣言とか消滅とかが続くような気がしましたので… これがたぶん一番難しいこと。私も逆方向に進んで(かつ失敗して)いると思います。 (あいつは馬鹿だとおもわれていれば、ともだちはいっぱいできます…かなりうろ覚えの引用でした。19:08修正しました) 昨日の話をちょっとひっぱります。まずはご指摘があって改めたように、広田照幸氏は日大学文理学部の教育学科教授にかわられておりました。ご人を含め各所にお詫びいたします。日大の文理学部は頑張って人材を集めておられますね(ヨイショ)。でもこれは必ずしもわざとらしい持ち上げのみでもなくて、たとえばあ

    2007-03-14
  • 新しい伝統/初詣の話 - uumin3の日記

    神道と言えば初詣、と最近どちらかのコメントで見たような気がいたしますので、そこらへんの話を書きたいと思います。神道と私たちの暮らしの接点は、現在限られた行事や風習に残るのみかと思います。たとえばそれは神前結婚式。子供が生まれてからの御七夜、宮参り、七五三、成人式。正月の初詣。合格祈願に厄除。そして神社のお祭り…。 でもこういったものがはるか昔から伝統的にあった、と考えるのは早計です。中には結構新しい「伝統」も散見されます。もしかしたら今日見られる私たちと神道とのつながり自体が、近代の国家神道の確立の中で創り出された部分が多いかも知れないのです。新しいからだめだと言う気も全くありませんが、最初に見聞きしたときに驚いたのは事実です。 まず最初に私が驚いたのは、明治以前の皇室の葬儀が仏式で行われていたことを伺った時でした。1868(慶応四)年にいわゆる「神仏分離令」が布告されますが、その直前、慶

    新しい伝統/初詣の話 - uumin3の日記
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2005/06/01
    この私鉄のコマーシャリズムに乗った「流行」が初詣を広めた側面が強いのではないかと思います。
  • 2005-05-27

    今日の日記で下書きを書いていたものがあるのですが、どうにも攻撃的で結局一晩寝かすことにしました。あまり他者を責めても、後悔するときがありますので。 一晩寝かせて、朝になって考えてみて悪くなかったらアップします。ということで今日はつなぎの話を書くことに… 日では、酒は「御神酒(おみき)」で神様の飲み物でした。 私は「さけ」の語源として(神)饌「け」に美称の「さ」がついたものだという説が一番もっともらしいと思っています。 (ということは前にも書きましたが、少しその続きを…) はるか昔の神道の祭祀では、まず一定の聖域(あるいは臨時のマツリノニハ)を画定し、そこに木を招代(おぎしろ)として立てて神を招き降ろしました。この木は神籬(ひもろぎ)と呼ばれ、そこに鏡などの祭器がかけられたのです。祭りは夜行われ、神が迎えられるとまず土器に盛った神饌が捧げられ、続いて玉・宝器・衣類が神宝幣帛として供えられま

    2005-05-27
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