僕に源氏物語の講義をせよと申出てきたのは大家上等兵である。 大家上等兵は兵隊としては或は少し変り種の方であったかもしれない。彼は中学校も卒業してはいなかったが、文字がひどく綺麗だったので我々の部隊ではひどく調法がられていた。隊の事務の方を担当させられて謄写版の原紙書きにはなくてはならない兵隊だったのだ。そのくせ兵器の修理が専門なのだが、もともと商売が時計屋さんであったし、又兵としてそうした教育もうけていただけにその方でも極めて有能ではあったのだ。大げさに云えば器用に生れついて技術者と文筆者とを兼ねたような男である。この大家上等兵が、僕が度々謄写版の原紙書きを命じた間柄の気安さもあったのかこの講義申出の軍使とされたらしかった。 彼の申出は同好のものが集っているから僕に夜にでも源氏物語の講義をしてほしいという事であった。 丁度六月十七日以降再度起った蘇満東部国境の××にも灯火管制を強いて来た頃
池田亀鑑氏は、一生を国文学の研究に捧げて、目覚しい活動をし続けた篤学者であつた。氏の業績に対しては、讃辞を惜しまぬ人が多いことであらう。しかし氏の労作の一の『伊勢物語に就きての研究』の中で、氏がいつてゐることを読むと、何か情ない気持になる。氏は『伊勢物語』を以て、「その構想の幻想的なる点から云へば竹取物語に劣り、雄大である点から云へば源氏物語に劣る」ものだとし、「しかし多種多様なる恋愛物語が、歌文相俟つて芸術的な気品を具備してゐることは、決して前二者に劣らない」といつてゐる。『伊勢』は『伊勢』でよく、『竹取』は『竹取』でよく、『源氏』は『源氏』でよい。それを強ひて比較して、劣るの劣らぬのといつて見たところが、一体どうなるといふのか。私等は自分の好みに従つて、『伊勢』を読み、『竹取』を読み、『源氏』を読めばよい。そしてそのおのおのの作品の持つよさを感得すればよい。池田氏の言辞は全くの無意味で
諷誦文稿の解題を執筆された山田孝雄博士には、昭和二十九年の秋に、たった一度だけお目にかかったことがある。それまでは、何回か講演を拝聴していたが、わたしはその年の春に刊行したある小著〔古点本の国語学的研究――引用者補〕を携えて、仙台米ケ袋のお宅に伺ったのである。たった一度の、それも初めての対面であり、その拙い小著をご覧に入れた際のご批評が主であったから、当然、諷誦文稿それ自体について少しも話題にならなかった。 しかしその際、少なからずわたしを驚かせたのは、東大寺諷誦文稿に類似したもの、いわば奈良時代の片仮名の交ったと伝える文献である。それは確かに江戸末期まで存し、それ以後は全く所在の知られていない文献である。一たび存在することが記録されているのを見ると、いつまでもその文献の名を記憶し、その再発見に努力するという学者のたゆまぬ努力、もしくは嗜み、それをわたしは山田博士から教示されたのである。
かつて、御物の定家筆本『更級日記』が、過去の或時期において犯された誤綴という書誌的な原因によって錯簡を生じ、以後の末流伝本が悉くその欠陥を伝承していたが故に、その本文には、如何にも解釈し難い文意不通の個所を残していたものである。たまたま田中親美先生の手もとで、その全面的な補修が行なわれた際、冊子各丁を解きほぐし、料紙を一枚一枚表裏二枚に剥がして薄様の鳥の子を挟んで虫損個所を埋めた後、扨、もと通りに綴じ戻すこととなったが、日記の本文には殆ど関心のない助手の吉田氏が、窮余ひたすら虫損の形の経路を辿って料紙を重ね合わせたものを綴じ上げて、当時の宮内庁図書寮に返納したところ、錯簡によって文章の続きが全く不明となっていた個所が、定家書写当時の正しい順序におのずと復原していたので、調査に当っていた佐佐木信綱・玉井幸助両博士が驚嘆されたという逸話がある。「虫の知らせ」とはまさにこのこと。本文学の前段処理
サンタ-クロオス (名) 〔英語、Santa Claus.〕歐米ノ俗説ニ、耶蘇降誕祭ノ前夜、煙突ヨリ下リ來タリテ、兒女ノ沓、又ハ沓下ノ中ニ、種種ノ贈物ヲ入レテ去ルト云フ、不思議ナル老人ノ稱。 本項の記述での、「不思議ナル」といふ評価的な形容は、おそらく現行の国語辞書にはみられないたぐひのものだらう(事実、のちに大槻茂雄により改修された『新言海』(昭和34年)においては削られてゐる)。 この「サンタクロオス」は、『言海』では立項されてをらず、『大言海』への改編にあたつて増補されたものであり、このやうな記述も大槻文彦他の改編者によつてなされたものと、ひとまづは考へられるところであるが、たとへば、一関市博物館蔵の「大言海底稿」といふ「メモ的な原稿」には「興味を持った言葉が掲載されている新聞の切り抜きが貼り込まれて」ゐることがあり、「レシピが書かれた「ライスカレエ」の記事はその好例で、出版成った『
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