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ブックマーク / www.miho.jp (4)

  • 猿楽と面ー大和・近江および白山の周辺からー – MIHO MUSEUM

    猿楽(さるがく)とは、古くは「さるごう、さるがう」とも読まれ、能と狂言で構成される現在の能楽(※1)のかつての呼び名です。猿楽の起源は、通説では大陸伝来の散楽(さんがく)に由来し、日古来の芸能と融合しながら芸術的完成度の高い歌舞劇へと進化して、今に至ったとされています。 平安後期に書かれた藤原明衡(あきひら)(989-1066)の著作『新猿楽記』には、奇術、曲芸、歌や舞、人形劇、滑稽な物まね芸を伴う寸劇など、多種多様の演目が紹介され、当時の人気ぶりが伝えられています。やがて田楽(でんがく)、傀儡(くぐつ)、猿楽などそれぞれが職業化していき、有力な猿楽師は大社寺に所属して座を形成し、祭礼や法会の儀式の一部や余興を担っていくようになりました。 田楽を含めた多くの座が人気を競い合い、また影響しあう中で、室町時代初期から足利将軍家や大社寺の庇護のもと、猿楽は隆盛を迎えました。観阿弥(かんあみ)(

  • 大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい) – MIHO MUSEUM

    京都紫野の禅刹・大徳寺の塔頭である龍光院は、武将の黒田長政が父・黒田官兵衛の菩提を弔うため、江月宗玩和尚(1574〜1643)を開祖として慶長十一年(1606)に建立されました。大坂堺の豪商で茶人でもある天王寺屋・津田宗及の次男として生まれた江月は、高い教養と優れた禅風で知られ、当時の龍光院は、高松宮好仁親王、小堀遠州、松花堂昭乗ら一流の文化人が集う寛永文化の発信地でした。 また天王寺屋伝来の名宝は、江月によって大坂夏の陣の難をくぐり抜け、現在その多くが龍光院に伝えられています。 このたび龍光院の全面協力を得て、龍光院四百年の全容を一挙公開いたします。国宝の曜変天目茶碗や密庵墨蹟、柿栗図(伝牧谿筆)、油滴天目などの重要文化財をはじめとする、天王寺屋伝来の名宝、寛永文化の美を伝える江月所用の品や江月に帰依した人々ゆかりの文物、歴代寺伝の什物を展覧するとともに、江月以来脈々と受け継がれ、今に生

  • アメリカ古代文明ー超自然へのまなざしー – MIHO MUSEUM

    紀元15 世紀、“旧大陸”の人々が“新大陸”を“発見”した時、すでにそこには一万数千年に及ぶ人々の 営みがありました。彼らは厳密な暦を発達させ、宇宙と自然の循環にそった文明を創りあげていたのです。 その精神世界では、人間が超自然の世界の助けと慈愛を必要とするのと同様、神々が活動できるためには 人間の介入が必要でした。これは古来、厳しい自然環境の変化と、その中で行われる農耕、及び天体の運 行に人間(主に首長)が責任を担ってきたことを表すもので、正しい時に正しく儀式を行うことが、彼ら の宇宙を存続させるのに不可欠だったのです。 展示では、彼らの残した石彫、陶器、金属工芸、染織品など100 余点を展観し、暦と歴史的な儀式、生死 をかけた球戯、神聖なチョコレートなどの話題にも触れながら、彼らの三千年にわたる足跡をたどります。 会期2018年9月8日 - 2018年10月8日 会場北館 主催MIHO

  • 大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋(はそうあい) – MIHO MUSEUM

    京都紫野の禅刹・大徳寺の塔頭である龍光院は、武将の黒田長政が父・黒田官兵衛の菩提を弔うため、江月宗玩和尚(1574〜1643)を開祖として慶長十一年(1606)に建立されました。大坂堺の豪商で茶人でもある天王寺屋・津田宗及の次男として生まれた江月は、高い教養と優れた禅風で知られ、当時の龍光院は、高松宮好仁親王、小堀遠州、松花堂昭乗ら一流の文化人が集う寛永文化の発信地でした。 また天王寺屋伝来の名宝は、江月によって大坂夏の陣の難をくぐり抜け、現在その多くが龍光院に伝えられています。 このたび龍光院の全面協力を得て、龍光院四百年の全容を一挙公開いたします。国宝の曜変天目茶碗や密庵墨蹟、柿栗図(伝牧谿筆)、油滴天目などの重要文化財をはじめとする、天王寺屋伝来の名宝、寛永文化の美を伝える江月所用の品や江月に帰依した人々ゆかりの文物、歴代寺伝の什物を展覧するとともに、江月以来脈々と受け継がれ、今に生

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