三島食品の創業者・三島哲男。「ゆかり」の生みの親でもある。 梅干しなどの色づけに使われている赤しそ。ふりかけにするアイデアは三島食品のオリジナルだ。 漬け込み工程。アクを抜いた後の赤しそを梅酢に漬けて熟成させる。 炊き立ての白い御飯の上に、赤紫色のふりかけをパラパラ。湯気の中から立ち上がる甘酸っぱい香りが、たまらなく食欲をそそる。ふりかけるだけでなく、御飯に混ぜ込んでも美味しい。子供の頃、お弁当の中によく小さな赤紫色のおむすびが入っていた。そう言えば、学校給食のメニューにもあのふりかけがあったなあ……。 ふりかけの種類は数多いが、赤しそのふりかけといえば、誰もがまず「ゆかり」の名を挙げるだろう。広島の三島食品株式会社が「ゆかり」を発売したのは、今から40年前の1970(昭和45)年。ブレンドタイプのふりかけとしては丸美屋の「のりたま」が有名だが、単一原料のふりかけのベストセラーは、間違いな
親父が戦前から楽器製作に関わっていたので、確かにそういう影響があったかもしれませんねぇ。この4月に、私どもの会社は75周年を迎えました。今、私は78歳ですが、小さいころは戦前だったものですから、身近にギターがあるような時代じゃありませんでしたし、あっても買えるわけでもない。うちの親父は、名古屋にある鈴木バイオリンという明治時代から続くバイオリンの製作所で働いていまして、1935年に独立して矢入楽器製作所を設立しました。でも名古屋が空襲にあって、ここ岐阜県可児市に疎開したんです。
親父が戦前から楽器製作に関わっていたので、確かにそういう影響があったかもしれませんねぇ。この4月に、私どもの会社は75周年を迎えました。今、私は78歳ですが、小さいころは戦前だったものですから、身近にギターがあるような時代じゃありませんでしたし、あっても買えるわけでもない。うちの親父は、名古屋にある鈴木バイオリンという明治時代から続くバイオリンの製作所で働いていまして、1935年に独立して矢入楽器製作所を設立しました。でも名古屋が空襲にあって、ここ岐阜県可児市に疎開したんです。
専門は、宇宙構造物の設計で、電波天文衛星「はるか」の展開パラボラアンテナ設計は私のコンセプトです。また、直接設計に携わってはいませんが、「きく8号」のアンテナは、はるかのコンセプトを元にしていますね。一方で、宇宙で構造物を作るためには、それをどうやってパッケージして宇宙に運ぶかが非常に重要な問題なんです。この問題が解決しないと、大きなシステムを宇宙で展開することができませんからね。以前は、人やら犬やらを乗せたロケットを飛ばせば良かったわけですが(笑)、宇宙で活動をするとなると、そこに大きなものがいる。そういう流れがありました。
「数学に挫折した」という経験を持っている者ではありますが、数学的な考え方というものは、「かしこく」生きるのに役立ちそうな気がしています。 私自身、中学や高校のころは、数学ができる人を自分とは頭の構造が違うのだろうと思っていました(笑)。 数学というのは、人類が都市国家を造った紀元前3500年前位から、長い歴史を持った学問です。そうすると私達は、足し算引き算といった非常に初歩的なことから始まって、それが段々と発達して現在の数学へとつながったのだと思いがちですが、実はそうではありません。古代バビロニアでは、すでにルート2の小数点以下5桁くらいまでの正しい値が出ていました。ですから計算の技法から言ったら、大変進んでいたのです。しかし、その数学の長い歴史の中で、「論理」というものが生まれたのは紀元前500年くらい。それまでは「この場合は、この値になる」という点ばかりに注目されていたんですね。今で言
ご著書を拝読して、自分が方言とは意識せず使っていた言葉が、実は方言だと書かれていて非常に驚きました。そもそも私達は、何をもって「標準語」と言っているのでしょうか? 「標準語」は、明治時代の中ごろ政府が制定したものです。全国各地で特色ある方言が色濃く残っていた江戸時代、各藩のひとにぎりの上士(上級武士)は江戸屋敷に勤めており、幕府との、あるいは藩同士のコミュニケーションの必要から、江戸弁を土台にした上士階級の共通語は生まれていましたが、大多数の人は明治時代まで方言だけで生活していたのです。 国家統一、富国強兵が急務であった明治政府は、統一された言語「標準語」が必要と考えて、話し言葉、書き言葉、両方の改革を同時に進めました。書き言葉は、それまでの文語体を改め、言文一致体にしました。簡単に言うと、なるべく話すように書こう、書き言葉を話し言葉に近づけようということです。 一方、話し言葉は、日本初の
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