久々のオスプレーネタでもありますが… 1854年の今日9/20は、クリミア戦争最大の戦いといわれる「アルマの戦い」が起きた日です。 拙ブログでも紹介しましたが、同年9/14にカラミタに上陸した連合軍は一路セバストポリ目指して南下を続けます。 しかし、カラミタとセバストポリを分断するように流れるアルマ川南岸にてロシア側クリミア半島地上軍を掌握するメーンシコフ公率いる約3万5千が陣取り、連合軍を迎え撃ち、ここに「アルマの戦い」が起きます。 足並み揃わぬ連合軍を率いる英軍ラグラン卿、仏軍サン・タルノー元帥とロシアのメーンシコフ公を含め、両軍とも愚将同士の戦いであったといわれており、両軍とも失策を繰り返した後、最終的にはロシア軍の潰走で戦いは終了します。 しかしラグラン卿が追撃を渋ったため、潰走するロシア軍を取り逃がしてしまい、この後、ロシア軍にセバストポリで体勢を立て直す猶予を与えてしまうことに
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