歌の持っている時間の力はおそろしく強い。すでにこの「マンバ通信」の赤塚不二夫の回でも論じたように、マンガというメディアに、よく知られた曲の歌詞が書き込まれたとたん、それは音のない音楽の時間となって、読書の速度を乗っ取ってしまう。読者は通常、コマからコマ、フキダシからフキダシへと黙読しながら移動するとき、音読よりもずっと速いスピードで読み進めているのだが、そこに歌の文句が引用されたとたん、その文句によって想起されるメロディの引力に引き込まれてしまう。 では、このような歌の引力は、マンガの物語にとってどんな意味を持っているのだろう? この問題を考えるときに、まずわたしが思い出すのは『はだしのゲン』だ。『はだしのゲン』が論じられると、どうもイデオロギーの是非や描写の凄惨さばかりが強調され、マンガとしてのおもしろさがまともに扱われていない気がするのだが、もし、わたしが『はだしのゲン』をなぜ読み進め