「ヘリコプターマネー」採用に向けた圧力に直面する日本銀行の黒田東彦総裁は、戦前の高橋是清蔵相の生涯、そして死をぜひとも思い起こすべきだろう。 高橋蔵相は1930年代前半、日本経済の立役者として日銀による国債引き受けという、ヘリコプターマネーに相当する政策を打ち出した。金本位制からの離脱と相まって、高橋蔵相のリフレ策は「日本を大恐慌から見事に救った」と、当時米連邦準備制度理事会(FRB)理事だったバーナンキ前議長は2003年の来日時の講演で指摘した。円相場の急落も寄与した。 残念ながら話はここでおしまいとならない。高橋蔵相はその後、軍事費削減による赤字抑制を目指したが、1936年の二・二六事件で反乱軍の将校に暗殺された。財政規律の破綻とインフレ高進に見舞われた日本は、第2次世界大戦に歩みを進めることになった。 そして今、デフレ的な落ち込みを回避しようと黒田総裁が努める中、どのような教訓を導き